誰がイカロスか?  = 映画「三里塚のイカロス」をめぐって(2)=

2017/10

(2017/09/19 facebookで公表)

 この文章はfacebook での柳沼吉孝さんと平田誠剛さんの書き込みへのお返事として書きはじめたのですが、もっとたくさんの人にも読んでもらいたくなったので、独立した記事にします。
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 9月12日、「三里塚のイカロス」の感想文をfacebook にアップしたら、代島治彦監督自身がコメントをつけてくださり、私は返信しました。(9/12 の書き込みを参照下さい)
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【代島】 久下さん、ありがとうございます。ぼくはみなさんの世代に憧れたぼく自身がイカロスだったと思い、この映画を作りました。45歳で社会から墜落。幸いに死ななかったので、この映画を作りました。
【久下】  監督さん自身からメッセージいただき大変光栄です。皆、ギリギリのところで墜落死をまぬかれた感がありますね。人間、その気になるとなかなかしぶとい。(笑い)。皆で仲よく、しぶとく生きていきたいものです。
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 代島監督は出演者のすべてがイカロスだと思って映画を作ったんだけど、実は代島監督自身もイカロスだったんですね。イカロスだらけだ。(笑い)。
 代島治彦監督は1958年生まれで私より4歳年下。柳沼吉孝さんもほぼ同じ年齢です。学生になったとき、左翼的な心情は持っていたのに学生運動は衰退して見る影もなく、闘いに参加することなく社会に出た。その時の屈託がずっと尾を引いている。その屈託に決着を着けたいというのが、代島監督が「三里塚のイカロス」をつくった動機です。「三里塚のイカロス」公式サイトの「製作者より」のところで、代島監督は以下のように書いてます。
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誤解を恐れずに言うが、『三里塚のイカロス』は“あの時代”にけりをつけさせるための映画、ちゃんと死んでもらうための映画である。時代の悪霊となってこの世を彷徨うのはもうやめてくださいよという……。
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 でも、私に言わせると代島監督のこの認識は誤解です。まあ、分かっていて、ちょっと大げさに言ってみたのかもしれないけれど。代島監督には悪いけれど、“私たちの時代”はもう、今の世ににさまよい出て、世の中を揺さぶる力など持っていません。そんな力はもうだいぶ前になくなってしまった。しかし、“私たちの時代”が、代島監督や柳沼吉孝さんなど、後の世代の少数の人たちには、大きなインパクトを与え続けているのも事実です。
《“私たちの時代”は、今の世全体を揺さぶるような力を、もはやもっていないが、今の世の少数の人たちには、大きな影響を与え続けている》
 というのが正確なところでしょう。
 代島監督や柳沼吉孝さんたち、私たちより後の世代の中に、“私たちの時代”のことを真剣に考え続けてくれる人々のいることは心から嬉しく思います。代島監督は“私たちの時代”と格闘を続けて、「三里塚で生きる」「三里塚のイカロス」という素晴らしい映画を作ってくれた。こんなに嬉しいことはありません。
 しかし、柳沼吉孝さんの書き込みや代島監督のコメントなんかを読んでいると、私はときどき痛々しくなります。そんなにも、私たちのことを思ってくれる必要はない。それこそ、「悪霊の呪縛」から自由になって、今の世の中を、もっともっと自由に飛び回ってほしいと私は思うのです。もっともっと自由に飛び回って、そして、願わくば、ときどきは“私たちの時代”のことを思い出してくれるならば、少なくとも私はそれで満足です。
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 誰がイカロスかと言えば、平田誠剛さんは、映画に登場する元中核派の現地責任者、岸宏一氏がイカロスだと思ったみたいだけど、私も代島監督と同じで、出演者の皆がイカロスだと思っています。もちろん、この文章を書いている私自身もそうだ。しかし、考えてみたら人間の歴史は死屍累々のイカロスたちの闘いの連続ではないでしょうか。
 「三里塚のイカロス」を見るにあたって、平田誠剛さんやその他の仲間と初めてお会いして酒を飲み、(平田さんとは初対面でした。信じられないかもしれませんが)、映画を観た後で、facebook に感想を書いたらさらに多くの皆さんとの交流が始まって、あの時代のことが次々と思いだされて、実は、ここ数日間は寝ていても夜半に目が覚めてしまう一種のトランス状態なのです。そんなトランス状態の中で、頭の中に、戦乱の世、戦国大名に筵旗を押し立てて蜂起した一向宗徒たちの姿が浮かんできて、そうだ、やっぱり、私たちはあの一向宗徒たちの後を継ぐ者だったのだという観念が膨らんできました。
 一向一揆で武装蜂起した農民たち。厭離穢土(おんりえど)、欣求浄土(ごんぐじょうど)と唱えて信長の軍団と戦い、一時は、今の石川県一帯を支配して「加賀一国は坊主と百姓の持ちたる国なり」と立札するまでになった農民たち。その後、徹底的に弾圧され、何万(何十万?)という農民が皆殺しにされます。彼らは紛れもなくイカロスでした。幻想の浄土を夢見て蜂起し、弾圧され、夢破れ、皆殺しにされた戦乱の世のイカロスたち。
 また、戦後混乱期に労働組合を結成して立ち上がった、国鉄労働組合の先輩たちの姿も浮かんできました。私が国鉄に入った40数年前にはまだ、「終戦後は仕事に使う軍手も支給されなかった。俺たちは、軍手を支給しろという闘いからはじめて、組合を作ったんだ」と教えてくれる先輩がいました。レッドパージや定員法などでたくさんの解雇者を出しながら、また、下山、三鷹、松川という謀略事件では、でっち上げで死刑を宣告されるまでの弾圧を受けながら、闘い続けた国鉄労働組合の先輩たち。国鉄分割・民営化に際しての徹底的な弾圧によって、今や闘う力を大きく失った国鉄労働組合の組合員たちもまた、イカロスにつながる者たちなのかもしれません。

 しかし、たとえ現代のイカロスであったとしても、ギリギリのところで墜落死をまぬかれた私たちは、紛れもなく生きています。人間の歴史が、蜂起と敗北の連鎖によってつくられているとするならば、1949年の中国革命や1975年のベトナム革命に続く日本における革命を夢見て、三里塚で闘い、敗北したわれわれ現代のイカロスは、蜂起と敗北の連鎖という人民の歴史に、新たな1ページを書き加えて生き延びたことを心から誇りたい。
 多田野デイブというふざけた名前の友達が、facebook にうまいことを書きこんでくれました
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【多田野】(墜落したイカロスであるわれわれの)背中には、どろどろに溶けた蝋の痕がまだ残ってまんがな…。もう二度と羽は生えないだろうけど…。でもたぶん地を這うような生き方から見えてくることも多くて、羽は無くともみんなと繋がればまた次の世代への可能性が見えてくるわい…。
【久下】そうやな。たとえ地上に墜ちても、虫として頑張れるな。(笑い)。
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 私はこういう仲間とともに今まで生きてこれたことを、幸せに思います。

 死んでいった人たちがいます。
 私は、3.26闘争の前年、岩山大鉄塔が倒された日から2日後の1977年5月8日、政府、警察、公団、そして裁判所までグルになった、だまし討ちの鉄塔破壊に対する報復戦に参加しました。細い一本道で衝突がしばらく続いた後、機動隊が私たちの隊列に向けてゆっくりと前進をはじめ、しだいに速度を速めて襲いかかってきました。私たちは、はじめはゆっくりと、そしてしだいに全速力となりながら撤退しました。途中、野戦病院の横を通りました。白い円と赤い十字を組み合わせたマークをヘルメットにつけ、赤十字が大きく描かれたゼッケンを着た野戦病院の仲間たちは、機動隊の乱入を阻止するために、病院の前に非武装でスクラムを組んでいました。その中の一人、東山薫の頭部に向けて、至近距離から水平に発射された催涙ガス弾は彼の頭部を打ち砕き、そして東山薫は死にました。
 3.26闘争の過程で、山形大生、新山幸男が死んだ経過は映画の中に描かれています。
 自死した人たちもいます。青年行動隊員の三ノ宮文男さんは、「空港をこの地に持ってきた者を憎む」という遺書を残して自死しました。映画の中では、支援から農家に嫁ぎ、今は、苦渋の中で移転に応じて代替地で農業を営む女性が、やはり、同じように支援から嫁いでいた女性が、移転から7年後に自死したことを話します。
 生き残ったイカロスである私たちが、さらに生を紡ぎ、未来に向けて歩んでいるとき、彼らはもう、苦しみも悲しみも、そして喜びも幸せも感ずることのできない世界に行ってしまいました。彼らは今や、浄土を夢見て武装蜂起し、皆殺しにされた一向一揆の農民たちと同じ場所にいるのです。そこにはまた、国鉄分割民営化の中で、組合脱退を強要され、苦悩の中で自殺した100人とも200人とも言われる労働者もいるはずです。

 私はときどき、私の心が、今生きている世界よりも、むしろ死んでいった彼らの方に寄り添っていると感ずることがあります。私が何か文章を書こうとすると、なぜか、いつも死んでいった者たちの顔が浮かんでくるのです。それは私が、一個の墜落し生き残ったイカロスであり、生きながらこの世界から拒絶されているからです。そのことを私は悲しもうとは思いません。むしろ私は、死んでいった人々とスクラムを組むことのできる自分を誇りたい。そして生きている限り、この不公正に満ちた世界と闘っていきたいと思っています。

【書いてしまった後の言い訳】
 前半では「そんなに真剣に“私たちの時代”について考えなくてもいいよ」「もっともっと自由に生きてほしい」なんて、軽い調子で書いておきながら、後半では、またいつもの、押しつけがましい文章を書いてしまいました。反省しきりです。
 後半はいらんかったかもしれん。前半、代島監督への返信で書いた、「皆で仲よく、しぶとく生きていきたいものです。」というのが一番言いたいことです。

 東京・渋谷のシアター・イメージフォーラムで上映中。劇場情報のほか、予告編、解説、製作者より、などは下記サイトでご覧になれます。

http://www.moviola.jp/sanrizuka_icarus/index.html