国労東京 久下格
一九九一年九月八日
さる七月二〇日~二一日にかけての社会主義連合準備会結成の集まりに、初日だけ参加することが出来た。初日の討論では、われわれがめざす社会についての、白川真澄氏と国富健治氏からの報告をめぐる討論が行なわれたが、その討論に触発されたことを中心に、書きたいと思う。
茶番としか言いようのないクーデターの失敗を契機に、ソビエトでは改革派と保守派の力関係が劇的に変化し、ソビエト社会主義共和国連邦とソビエト共産党が、共に地上から消え去ろうとしている。クーデターがあわれを感ずるほどの「茶番」にしかならなかったことは、ソビエトの人々にとって幸いであったが、それは、ソビエトを歴史的に支配し続けてきた官僚の中心的な勢力である保守派が、いかに社会の中で浮き上がり、民衆から遊離して支配を空洞化していたのかをはっきりさせた。
社会主義革命発祥の地ソビエトにあって、「社会主義、共産主義、マルクス主義、レーニン主義」といったものは、すべて崩壊した保守派の占有物であったし、改革の進展を押し止めようとした今回のクーデターも、「ソビエト社会主義共和国連邦」の名称から、社会主義を削除することを含む「新連邦条約」に反対して、「社会主義の理念とソビエト連邦を守る」という大義を掲げていた。このことは、われわれに重大な問題を投げかけているのだが、とりあえず、今回のクーデター失敗を契機とする改革の急進化とソビエト連邦の崩壊によって、一九一七年のロシア革命以降の、一つの時代が閉じたことは確かなことである。
こうした時代認識については、白川氏も国富氏も共に触れられた。白川氏のレジュメでは、「社会主義は歴史的に敗北・破産した」として「〝国家による社会の組織化〟の一時代(一九一七年ロシア革命以降)の歴史的終焉 社会主義だけでなく資本主義も 」と、明確にされているし、国富氏もそのような事を話されたと思う。しかし、問題は、こうした時代に対する認識が、社会主義連合準備会に集まってる勢力に、存在の根拠を根底から問いかけているということの重大性であり、そうした問題は、充分意識されて討論されたとは思えない。
一九一七年のロシア革命によって始まり、九〇年の東欧革命をへて、現在進行しているソビエト連邦とソビエト共産党の解体によって、終わりが刻印された時代とは何だったのだろう。様々に規定され得ると思うし、私には、とても一世紀近い時代を総括する力もないが、感覚的に最も引かれるのは、和田春樹氏が言われている「世界戦争の時代の終わり」という規定である。
一九一七年のロシア革命は、世界大戦の哨煙の中で勝利した社会主義革命であった。一般に帝国主義段階とよばれている時代になると、先進資本主義諸国には、各国民国家の単位で総力戦を闘いぬく軍事力が蓄えられ、諸国家は様々に連合して武装対峙した。矛盾の爆発である第一次大戦の只中でソビエトロシアが誕生して以降、そうした対立の中に新しい要素が加わり、再度の世界大戦の結果、社会主義陣営が地理的、軍事的に拡大するとともに、資本主義諸国間の対立は後景にしりぞき、世界は、「資本主義と社会主義の体制間対立」とか「東西対立」などと呼ばれる冷戦の時代を迎える。
「世界戦争の時代」にあって、社会主義革命は、ロシアでは世界戦争からの離脱をかけて、そして、中国では植民地を掠奪する侵略戦争に対する、民族解放戦争として勝利した。一九七五年のベトナム革命は、東西対立の時代に、社会主義陣営と連帯した民族解放戦争として勝利した最後の革命であった。(ニカラグア革命には、すでに、少し違う時代の性質が刻印されていたような気がする)
この時代の社会主義革命は、いずれも、「資本主義を打倒する以外に、世界戦争を地球上から廃絶することは出来ない」という認識を伴って遂行された。「資本主義の最高の発達段階である『帝国主義段階』では世界戦争は不可避」だからである。社会主義革命は、世界平和への唯一の道であった。
しかし、「戦争か革命か」というこの時代のテーゼは、資本主義自身によって乗り越えられた。第二次世界大戦をへた資本主義は、古典的な帝国主義から、国内市場の内包的発展と水平的な世界貿易の発展を土台とする、新しいスタイルへの変容をなしとげたからである。(それは、大量生産、大量消費のメカニズムと、議会制民主主義のなかに労働者階級の主要な部分をとりこんでいる。もちろん、石油をはじめとする第三世界からの収奪がなくなったわけではない)
今ヨーロッパでは、「ヨーロッパ合州国」が日程に上るまでに、資本が国境を越えて入り組んでおり、多国籍企業が国境を越えて活動する現在の資本主義は、もはや帝国主義世界戦争に訴える動機と、世論形成の能力を欠いているように思える。
一方、「世界戦争の時代」に革命をなしとげた社会主義諸国は、第二次世界大戦後の、資本主義の世界的な変化に対応する、変容に失敗したのだと思う。軍事的な規律から出発した、官僚的な党-国家体制は民主主義的政体に転換されず、中央統制経済は維持された。(社会主義革命が、市民社会の伝統を欠き強権支配のもとにある、世界資本主義の辺境で勝利したことが、大きく影響していると思える)。その結果、東西対立が固定化するにともなって、社会主義陣営自身が世界戦争の要因に転化していったという事実を、今、私たちは指摘しなければならない。
ゴルバチョフによる軍縮は、「世界戦争の危機」に根拠がなくなったことを踏まえて推進されたが、核兵器と通常兵器の一方的な削減を含むソ連による軍縮の推進は、世界戦争の危険を大幅に低下させたのである。ゴルバチョフの平和攻勢によって、ヨーロッパの民衆は突然、「ヨーロッパに敵はいない」ことに気がついた。「新思考外交」は確かに「世界戦争の時代」の外交方針ではないが、ゴルバチョフの偉大な功績である。(私は、東欧とソビエトでの民主主義革命によって、世界的な全面軍縮の条件が生れたのではないかと思う)
こうして今、東欧とソ連の変革を通して、世界は「世界戦争の時代」から抜け出たが、ここで問題にすべきなのは、われわれもそこから生れてきた、ロシア革命以降の社会主義が、いわば「世界戦争の時代の社会主義」であったという事実である。その骨格となったのは、帝国主義戦争の必然性と、社会民主主義と共産主義の分裂の不可避性を説いた「帝国主義論」と、暴力革命によるプロレタリア独裁-ソビエト権力の樹立を説いた「国家と革命」というレーニンの著作だが、第三インターナショナル初期の文書もまた、その性格をよく現わしている。
スターリン派が実権を握る前の第三インターナショナルは、「世界革命の勝利か、さもなくば新たな恐慌、新たな戦争か」(第三回大会・情勢に関するテーゼ)という認識の上に、政治方針と組織方針を確定した。「ソビエト権力の樹立によるプロレタリア独裁」という目標、そのための「民主主義的中央集権」論にもとづく共産党の建設、そして、「大資本、大農場の国有化を通した生産の社会化」という社会主義論、「民族自決権の承認と民族解放闘争との連帯」など、一切の方針が「世界革命か世界戦争か」というところから導き出されたのである。(第三インターナショナル一~四回大会の諸決議参照)
ここで私が指摘したいのは、こうした組織方針も政治方針も、すべてが一体のものであるという点であり、たとえば、「組織論は今でも正しいが、武装蜂起による権力の奪取はもう古い」とか、「大資本・大農場の国有化自身は間違いではない」とか、「あれはよいがこれは悪い」式の思考は通用しないのではないかという点である。
「ロシア革命以降の一時代の終わり」は、「世界戦争の時代の社会主義」の戦略・戦術の総体を問題にしており、われわれのうちの多くが、第三インターナショナルと各国共産党につながる勢力から生れてきたとするならば、右にあげたような一切の考え方を、総体として再検討し、われわれの存在する根拠そのものを問題にするという道を通ってはじめて、「新しい時代の新しい主体」に合流する可能性が開かれると思うのである。
白川氏と国富氏の間の論争の焦点の一つは、「プロレタリア独裁」というテーゼを巡ってのものであった。幾人かの人も論争に加わったが、その点について次に述べたいと思う。
「ソビエト権力の樹立によるプロレタリア独裁」は、第一次世界大戦の勃発とともに、「祖国防衛」に転じた第二インターナショナルの諸党が、議会制民主主義政体の下で、国民国家の構成要素へと、自己を組み込んでいったことに対する、第三インターナショナルの戦略的方針であった。その前提は、「一九世紀と二〇世紀の歴史は 『純粋民主主義』が発達すればするほど、階級闘争もいっそう明瞭に、先鋭に、無慈悲に進み、そして、資本の圧迫とブルジョアジーの独裁とが、いっそう明らかに示される」「現実には、テロ行為とブルジョア独裁とが民主共和国を支配している」という認識であった。(第三インターナショナル一回大会、ブルジョア民主主義とプロレタリア独裁に関するテーゼ)
事実、帝政ドイツの崩壊によって誕生した共和制ドイツでは、社会民主主義者によってローザ・ルクセンブルグとカール・リープクネヒトが虐殺された。ロシアにおけるソビエトやドイツのレーテなど、戦争が生み出した資本主義の危機の中で、工場を基礎に労働者階級が作り出した自主管理の機関が、プロレタリア独裁の基礎であるとされた。
しかし、その後の歴史は、第三インターナショナルの見通しとは違ったものになった。一つは、第二次世界大戦に向かう局面において、ドイツ、イタリアでは、没落した小ブルジョアジーに基礎をおいたファシスト政党による独裁権力が生れたものの、イギリス、アメリカでは、議会制民主主義政体が維持されたこと、二つ目は、戦後の資本主義の世界的成長局面では、日本を含めた旧ファシズム諸国も、議会制民主主義政体を基礎として復興したことである。階級闘争の先鋭化にともなって、「最も民主的な諸国ですら、ブルジョアジーのむき出しの独裁」という性格をあらわにするだろうという予測ははずれ、プロレタリアートは基本的に、議会制民主主義政体の下に統合されたのである。
一方、「世界でいまだかつて知られていなかった規模で、資本主義が隷属させていた労働者階級に対して、実際の民主主義的慣行が拡大する」(前記決議)と約束されたソビエト民主主義は、革命直後の燃え上がるエネルギーに支えられた一時期を過ぎると共に形骸化し、官僚が権力を簒奪することを防げなかった。農民を主体とする革命であり、党の軍隊による内乱の中から生れた中国革命では、ソビエト型の機関は一度も登場せず、「プロレタリア独裁」の内実は、当初から、「プロレタリア独裁」の理念を体現する党の独裁にほかならなかった。こうして、「プロレタリア独裁」「ソビエト権力」という考え方が、一定の実態的根拠を伴って主張されたのは、実際には第一次世界大戦直後の、危機の一時期をおいてほかなかったことがわかる。そして、現実の「プロレタリア独裁」は、数千万人の民衆を虐殺した、スターリン主義者の「プロレタリア独裁」以外には、どこにもなかったのである。
前節のように歴史をたどるならば、「国富氏のいう『プロレタリア独裁』はその規定があいまいで、実態がはっきりしない。イデオロギー的である」という、白川氏の主張はそのとおりだと思う。国富氏は「とりあえず、権力を掌握するという意味で『プロレタリア独裁』という用語をつかった」と述べたが、国家権力という意味であれば、議会制民主主義政体もまた一つの権力のあり方である。なぜ「独裁」なのか?
プロレタリア独裁の理論の中心は、資本家階級から民主主義的権利を剥奪することを、公然と宣言しているところにある。「独裁」という考え方は「排除」と結びついているが、「ブルジョア民主主義の下では実態として大多数の労働者が民主主義的権利を剥奪されており、われわれは、圧倒的少数を『民主主義的権利』から排除するにとどまる」ということで、それは正当化されてきた。こうした考え方は東欧とソ連の民主主義革命をへた今日でも、通用するのだろうか?
東欧とソ連の民主主義革命では、主体となったのはプロレタリアートではなく市民であった。資本主義が廃絶された諸国において、民主主義の回復は、プロレタリアートによるソビエト民主主義の復活ではなく、フォーラム型の組織に結集した市民を主体とする、議会制民主主義樹立の闘いによって達成された。現存する唯一の「プロレタリア独裁」であった東欧・ソ連の独裁権力が、議会制民主主義を要求する市民の闘いによって瓦壊したことによって、「世界戦争の時代の社会主義理論」の中で、大きな位置を占めていた「プロレタリア独裁」という考え方は、現実によって最終的に否定されたと私は思う。
議会制民主主義の形骸化が言われて久しい。一人一票の参政権が、政治に対する決定権を万人に平等に与えるという理念は、政治の主体であるはずの「有権者」が、権力を握る官僚と、権力を持つ政党の操作対象でしかないという現実によって、笑われているように見える。「有権者」のしらけと投票率の傾向的低落が、多くの民主主義諸国で続いており、アメリカ大統領は、実際には有権者の四分の一の投票によって決定されている。
こうした中で、もしも、議会制民主主義を乗り越える新しいシステムを、私たちが構想出来るとすれば、議会制民主主義の危機を具体的に分析し、それを越える「何ものか」を、現実の運動を通して、実態と理念の双方から生み出していく中から以外にあり得ない。「プロレタリア独裁」の理論に様々な注釈をつけ、解釈仕直すようなことは不毛だと思う。そして私は、議会制民主主義を越える新しい政治形態を生み出すべき地点に、今世界は行き着いているのだろうかと問うこともまた、必要だと思う。
東欧とソ連の民主主義革命は古い理論を葬っただけでなく、「自由と民主主義」の理念が何も、「現代にあっては搾取する自由だけを意味する」のではなく、普遍的な価値を持っていることを示し、「すべての強制されたものは崩壊する」という真理を闘いの中で示した。「自立した個人の自由な意思」こそ、何物にも代えがたいことを示し、圧倒的多数の民衆が、内発的な意思にもとづいて立ち上がるとき、高度に統制された近代的軍事力さえ無力化することを示したのである。われわれがめざす社会は、こうした事実を踏まえて構想されねばならない。われわれは、現代資本主義を乗り越えようとする、民衆の圧倒的な意思を生み出せるだろうか。
(プロレタリア独裁の理論は、マルクスによって、パリ・コミューンの経験を踏まえて最初に提起された。そのことにかかわる問題も当然議論されねばならないが、割愛する)
「世界戦争の時代」の終焉は、第三インターナショナルの時代の最終的な終焉でもある。第三インターナショナルと、その支部としての各国共産党は、「世界戦争の時代の社会主義」として、第二インターナショナルから分裂したが、それが存在する根拠がなくなったからである。共産党の組織論である民主集中制は、「世界戦争の時代」が要求した軍隊的規律に対応しており、民主主義を基調とした新しい組織論が必要なのは当然である。
しかし、問題になっているのは組織論だけではなく、組織が存在することの根拠そのものである。社会主義連合準備会に集まったわれわれが、何ものであるのかが問われているのだ。現在の実態はともかく、われわれのうちの多くは、第三インターナショナルと各国共産党の組織と運動の中から生れてきたのだから。
白川氏はレジュメの中で、「『社会主義の再生』だけを唱えることは、『ご神体』を崇拝することと同じ」だとされている。そのとおりだと思う。しかし、もう一歩踏み込む必要があるのではないか。白川氏が、「解放と変革の新しいユートピアが必要」というとき、それはなぜか。ひょっとすれば、「ユートピア」思想は、第三インターナショナルの民主集中制党組織論に起源を持つ、われわれの組織と運動を維持するために必要なのかもしれない。「われわれにとっての必要」ではなく、この日本にとって何が必要なのかを考えるとき、「自治・連帯・共生の社会主義をめざす政治連合」は、なぜ必要なのか?必要ないかもしれないのである!
そうした緊張感を持って、われわれはわれわれの実態と理念の双方を検証しなければならないのではないか。
「プロレタリア独裁という考え方は正しいか否か」が、「めざすべき社会」についての論争のかなりの部分を占めたという事実は、われわれが、使命を終えた第三インターナショナルの磁場の中にいることを示している。しかし私は今、われわれの存在する根拠は、そうした古い理論的磁場の中にではなく、現実の日本で、日々自分たちの持ち場で苦労している私たちの現実の中にこそあると思う。
われわれの多くは六〇年代末~七〇年代にかけての高揚の中で闘いに参加した。私自身は、それを第三インターナショナルの言葉で、つまり、プロレタリア日本革命に向かう闘いであると意識してきたが、そうではなかったと今は思う。あの闘いは、たとえば、息苦しい管理社会に対する反乱そのものとして、借り物の理論ではなく、自分自身の理論で語られねばならない闘いではなかったか。われわれは新しい闘いを始めたのだが、古い言葉でしか喋ることが出来ない、そうした限界の中にあったのではないだろうか。
われわれは、われわれの日々の闘いを理論化すべきである。古い理論の特徴の一つは、現実に行なっている自分自身の活動と、自分たちの持っている理念の間を分断し、現実の運動を、本来の闘いの「前段」として理解するところにある。「二段階革命」論に典型であるが、実際には、古い理論と現実との距離がますます大きくなる中で、何とか、理念と現実を統一して把握しようとする悪あがきであった。われわれの間にもその風習は残っていないか。たとえば、「今は地方議会の選挙にかかわり、議会で運動しているが、これは決定的な段階での闘いの準備である」とか 。
そうではなく、今、自分が自分の持ち場で行なっている闘いこそが、自分自身の真の姿を示していると考えるべきだと思う。そうした立場から、われわれの闘いのうち、古い、歴史的な役割を終えた理論にとらわれている部分と、ほんとうに、日本の現実の中に根をもち、社会的役割を果しうる部分とを弁別する、理論的な取り組みが必要ではないだろうか。そのことに成功するか否かが、これも古い言葉だが、われわれが「歴史の屑かご」に行くかどうかを決定すると思う。
さて、日本の現実を見たとき、問われていることは、「社会党の左に、果して政治勢力が必要か」ということである。
社会党は非常に嫌われている。なぜ嫌われるのか。二つの側面があると思う。一つは、やはり、企業内組合や自民党政府と癒着するビッグユニオンの利害という枠から抜けられないという側面であるが、もう一方は、古い日本的な封建遺制ともいえるボス支配、年功支配に浸されているという側面である。この後者は、自立した個人の存在を前提とする市民社会が未成立な日本的プレ・モダンの社会構造に、ある意味で社会党が資本家よりも深く侵されているということに規定されている。市民運動などが社会党にもつ反感は、そちらの方が深いのではないだろうか。社会党の左に政治勢力が存在することの意義の一つは、日本的プレ・モダンを解体する自立した個人の自由な連合による政治を作り上げることにあると思う。
では、自立した個人を基礎とする自由な連合としての左翼は何をするのか。社会主義連合をよびかける文書は、環境問題や、労働現場の問題、差別の問題など多様な課題を指摘している。付け加えることはないが、二つの点を指摘したい。一つは、「社会主義連合」が「社会主義」を掲げることの意義は、今の日本では、巨大企業を中心とする企業社会の権力を解体する展望を持つことにあると思うのだが、当面、これは現実的課題になり得ないだろう。だから当面社会党の左に存在する余地のある政治勢力は、全体としては「社会主義」をめざす勢力ではないと思うのだが、すると「社会主義連合」は、さきほど指摘した「二段階戦略」をとるはめになってしまう。この矛盾をどうするのか、いまだに不明だという点。
もう一つは前向きの論議だが、「世界戦争の時代の終わり」によって、全面軍縮というスローガンが現実性を持つ時代が始まったのではないだろうかという点である。現在、一時的に世界の一元的支配者になったかに見えるアメリカは、アメリカに対抗する軍事力がなくなったとたんに、巨大な軍事力を維持する根拠を示す困難に直面しているように見える。イラクのクウェート進攻は、そうしたアメリカへの最大の援助となったが、先進各国の軍事力が、これ以降、南を押さえる軍事力という側面を露骨に現わすならば、それを正当化する理由づけに窮していくのではないだろうか。二一世紀を「全面軍縮」の時代にする地球規模の闘い、「軍隊のない地球」を実現する闘いに現実性はないだろうか。そうした観点から、現在の自衛隊とPKOをめぐる状況にコミットすることは出来ないか?
最後に、日本共産党の問題についてふれたい。日本共産党の崩壊は絶対に避けられないと思う。共産党もまた、日本社会の中で現実に果してきた役割と、あまりに古い理論的枠組みとのアマルガムである。最後のスターリン主義党として、九〇年代の崩壊は必至であり、新左翼総体と同じくらいの勢力になりかねないと思う。そのとき、「社会党の左に政治勢力は必要か」という問いは、違った意味を持つかもしれない。崩壊する共産党から、新しいわれわれの仲間は生れるか?
短時間で書いた試論であり、全ての結論に確信を持っている訳ではありません。荒っぽい文章にお付きあい願い大変恐縮です。とりわけ、白川、国富両氏には、私の浅い理解や思い違いからくる一面的評価に、不快な思いをさせたのではないかと危惧しています。なにとぞご容赦下さい。
ソ連でのペレストロイカを背景として、一九八九年に東欧で起こった民衆革命は、スターリン主義官僚体制が、民衆の手によって葬り去らねばならない非人間的な抑圧の体制であったことを、事実をもって完膚なきまでに明らかにした。官僚専制のもとでは、ときに命がけであった第四インターナショナルの主張は、その点においては一点の曇りなく証明されたのである。しかし、東欧民衆革命が、第四インターナショナルが構想した政治革命ではなく、当面、西欧資本主義への融合・統合に行き着く民主主義革命という政治性格をもっていたことは、第四インターナショナルの政治的な立脚点をも大きく揺さぶるものであった。ソ連・東欧の事態をどうとらえるか? 先入観なくこのことを考え続け、われわれの従来の理論を再検討することの中から、われわれの過去と現在を総括し、未来を構想しなければならない。