国にたてついた一労働者の想い出 ~国鉄分割民営化から30年~ html版

2018年1月

元国鉄宮崎車掌区車掌長                     
元国鉄労働組合宮崎闘争団 馬場園孝次

 はじめに

 1987年2月16日、通常の車掌業務を終え事務所にもどったところ現場長から「あなたはJR九州からの採用通知がありませんでした」紙切れ一枚もなく口頭で通告。その3年後、1990年4月1日、全国1047名の一人として解雇されました。その後、24年の闘いの末、政治的和解で終結しましたが、既に66名の仲間は解決をみることなく他界されていました。
今年2018年は分割民営化から、31年目です。この間、特に印象に残っていることがあり、ペンをとりました。遅まきなか、ちこれまでご支援いただいた全国の労働諸団体、民主団体、各メディア、各政党、自治体のみなさまに感謝を申し上げます。

 焼身自殺でも

 「馬場園さん、国会前でガソリンをかぶったらどうな」 解雇された宮崎闘争団(17名)の毎月1回会議をしてきた中で仲間から出た言葉でした。…というのも、長い間あらゆる闘いを展開(労働委員会、裁判等)をやってきたにもかかわらず仲々先が見えない、解決の糸口、光が見えない状況のもとお互いのイライラから出た言葉だったのです。
 1970年代ベトナムに対するアメリカの侵略に抗議し僧侶が焼身自殺した事件があり、世界を驚かせたことで平和解決が早まった過去を思い出しました。

 記者は現場を見た!

 当時、北海道、九州を中心に不採用になった私たちはメディアから「収容所」と表現され「清算事業団」に押し込まれ、365日「自学自習」の日々でした。(朝、8時半出勤夕方5時迄何も無し)ある日、『宮崎日日新聞社』(地方紙)の岡本記者が現場を訪ねて取材されました。分割民営化前、各メディアはこぞって政府による「国鉄労働組合ワルモノ論」の大キャンペーンを展開していたのです。記者はこれほど現場がヒドイとは思いませんでした。と話され、その後、早速「三面」に囲みで8回にわたって「清算事業団」の実態を記事にされました。このことで県民の多くの皆さんに私たちの置かれた立場を理解していただく機会の一つになったことは間違いありません。

 全国行脚

 1990年、解雇された仲間は全国に足を踏み出しました。私はまず徳島で約1か月、労働組合、民主団体を中心にあらゆる場所で解雇の不当性を訴えることからスタートし、どこの所属とか『右』とか『左』とか関係なく現場、団体を訪ねることができました。このスタートがきっかけで社会を見る目が一段と拡がった感がありましたし、次は広島に行き「全国のうたごえ祭典」の常連でもある「ナッパーズ」の仲間と交流することができました。その二次会でのこと、メンバーの中の1人がしんみりと『音戸の船うた』の民謡を歌われ今でも耳に残っています。その後、東京で確か品川だったと記憶していますが、昼の休憩時間に話をさせていただきました。
 ところが何かツメタイ雰囲気なのです。あとで理解したことですが「オマエ違だけではないぞ、オレ達は本務を外され(運転士、車掌等)ベンディング、うどん屋、ラーメン屋をやらされているんだ…」と。もちろん職業に貴賎はありませんがまさに去るも地獄、残るも地獄とはこのこどだったと認識させられました。  もちろん、この宮崎の地にも全国から多くの支援、共闘の方々が来られ激励を受けました。(中央共闘の中里さん、山下さんをはじめ) 全国支援共闘の森さん(都労連)折田さん(出版労連)等との交流もなつかしいです。

 まさか「着せ替え人形」?

 JR採用差別が分割民営に反対している国労に集中したため、不当労働行為問題を解決する行政機関、いわゆる全国各県にある労働委員会に訴え、結果として全国17労働委員会すべてで勝利することができました。(差別の認定)しかしJR側は完全無視。体制側と言うか権力の力を思い知らされ、むしろ自分の認識不足をはじた次第でした。しかも労働委員会闘争中、中央労働委員会は、会長名で「1ケ月間だけJRの制服を着用し給料も出します。」幼稚園児でもわかるようなウソみたいな勧告がでたことも忘れません。

 弁護士から「喝」

 労働委員会から裁判闘争に切替えましたが、多くの弁護士から力をいただきました。日本労働弁護団の宮里会長をはじめ、岡田(横浜)鍬田(宮崎)石井(福岡)井ノ脇(鹿児島)それぞれの弁護士のみなさん昼夜を問わずの努力には頭がさがります。差別を受けた最初の頃、何かあるとすぐ鍬田弁護士に相談していたところ「馬場園君、君たちが何をやりたいがだよ、私はあくまで代理人だよ」と、一喝されました。また、九州の闘争団の学習会が開かれ吉田弁護士(大分)が講師をされたことがありましたが、「君たちは国から解雇されたんだよ、わかっているのか、国家的国民的立場で闘うべきだよ」二つの「カツ」思い出しました。

 最高裁長官も味方

 労働委員会での解決が困難として私たちほ裁判闘争に切り替えました。その後の闘いで中央労働委員会も私たちの主張を理解することになり、いわゆる不当労働行為の認定をしましたがJRは最高裁に訴え3対2。わずか1票差で負けJR採用の道が閉ざされました。その後の経過をみると負けたとはいえ最高裁での2人の判断の重みが解決の糸口になったことは事実です。採用差別時点での“差別にも問題あり”とした2人の判事、1人は深澤さん(長官)と島田さんでした。昔、八海事件のえん罪の「犯人」の1人が叫んだ「まだ最高裁がある…」を思い出しました。

 あとがき

 戦後昭和の最大の政治経済事件とともに不当労働行為事件は第2のレッドパージでもあり、思想、信条のちかいで生存権を奪うことはまさに憲法違反です。
 今でも国鉄の分割民営に反対したことは正しいと信じています。JRになって福知山線脱線事故による107名の犠牲、先日の新幹線のゾッとする車体事故…背筋が寒くなります。人の命を預かる交通業であってほならないと思います。  当たり前ですが会社は当然、利益が第一です。誰かの言葉ではないですが、「儲けて何が悪いのですか」 これにどう答えるかです。

以上