江藤正修の夢

2017/10/09

 10月7日、雑誌「労働情報」の編集長を長く務めた江藤正修さんを偲ぶ会のために上京しました。80名の皆さんが参加して下さいました。ともに国鉄闘争を闘った者として発言を求められ、「労働者階級解放の夢を最期まで持ち続けた江藤さんを誇りに思う」と言ったら涙が流れ出して、べそをかきながらの挨拶になってしまいました。最近はよく泣きます。年齢のせいでしょう。江藤さんは天空から半べそをかいている私を見て、笑っていたかもしれません。

 江藤さんは、1977年、右翼的労働戦線統一に反対して大阪で「全国労働者討論集会」が開催されたとき、それと合わせて雑誌「労働情報」が発刊された当初からの事務局員でした。私は「討論集会」に国労新橋支部の青年部員として参加して、「労働情報」の創刊準備号から現在まで40年間にわたる読者です。江藤さんが在籍していた時代、「労働情報」誌は、編集・発行に携わる事務局員にとっても、私たち、支局を維持していた読者にとっても、単なる雑誌、単なる情報源ではありませんでした。それは、労働戦線の右翼的な統一に反対し、労働者の解放をめざす階級的労働運動を作り上げていくための運動=雑誌でした。私たちは「労働情報」誌を武器に職場を組織することを通じて、闘う労働運動の旗を守り、発展させようとしたのです。
 そうしたなかでも、1980年代半ば以降の国鉄分割民営化反対闘争は、天王山だったと思います。その闘いを私と江藤さんはかけがえのない同志として闘いました。

 分割・民営化の前年1986年、私は銀座の南隣にあった汐留貨物駅の廃ビル5階に作られた人材活用センターという名の首切り部屋に入れられていましたが、当時は、山手線を挟んで反対側、歩いても5分くらいの所に労働情報の事務所があって、しょっちゅう出入りしていました。江藤さんは人活センターでの様々な出来事を職場日誌として労働情報に載せることを提案して、私が22回にわたって「国鉄職場日誌」を連載することになります。私たちの人活はほとんどが20代半ばの青年部員でしたが、新会社から排除されるリストに確実に載っているのに、皆、怖れを知らなかった。一番苦しかったけれど、一番楽しかった時代でした。当局が人活センターに隔離した国労組合員に、箱根八里、32キロを無理やり歩かそうとしたのを、宣伝カーで追い回して中止させた話など、職場日誌を読みながら、「おー、押し返したなあ。お前ら、すごいなあ」などと、あきれたように、少しはにかんだようないつもの笑顔で、喜んでいた江藤さんの様子が目に浮かびます。
 1987年、国鉄分割民営化は強行されますが、私たちの闘いの結果、国労は分割民営化反対の旗を掲げたままJRに生き残ることになります。しかし、長く日本労働運動の中軸を担ってきた国労は少数組合に転落し、総評は解体して連合が日本労働運動の主導権を握ることになります。

 労働者階級の解放をめざす労働運動を作り上げたいという江藤さんと私の思いはかないませんでしたが、すでに発病し入院していた江藤さんに、私にとって現役最後の闘いとなった東京駅下請け職場での36協定代表選挙の報告ができたことはよかったと思っています。下請けの若い労働者と国労が一緒になった闘いを江藤さんは非常に喜んでくれた。次の時代への回廊は完全には閉じていない。闘いの火種は絶えていないという思いをいだいて、江藤さんが向こう側に行ってくれたのなら、こんなにうれしいことはありません。
 最晩年、江藤さんは社青同埼玉地本時代から反戦青年委員会運動を経て、労働情報誌にいたる自分の闘いを振り返り文章化することに精力を注ぎました。「偲ぶ会」では小さな本が配られました。「社会的労働運動の模索=明日を見つめた格闘の記録」と題された本には、社青同埼玉地本から埼玉県反戦の時代と労働情報の時代、それぞれの運動の中心にいた者にしか書けない貴重な記述があふれています。それは、反戦青年委員会運動の中から生まれた新左翼の労働者運動が、高野派以来の総評左派と結合して一旦は闘いを拡大し、労働者階級の解放をめざす労働運動の旗の下に、労働戦線の右翼的統一に激しく抵抗しながら、総評とともに衰退していった敗北の歴史を総括する本です。しかし、江藤さんの書く「敗北の総括」は、あくまでも現場にこだわり具体的な事実にこだわりながらも、江藤さんが最後まで持ち続けた「夢」、「労働者階級解放の夢」の記述ともなっています。「夢」はただ「夢」ではなく、「夢」への回廊は決して閉じていないことを、私は江藤さんの小さな本が、そして江藤さんの生き方自体が示していると思いたい。

 連合指導部が政権に接近し、権力構造の一端に自らを組み込む醜い姿をさらしている今、あるいは地域の個人加盟ユニオンとして、あるいは総評左派の系譜をついで闘い続ける単産、単組として、各々の持ち場での苦闘は継続しています。そして、最低賃金1,500円をめざす闘いの登場のように、若者たちによる、新しい時代の新しい闘いも生まれてきています。
 当初、労働情報の屋台骨だった全金港合同の大和田幸治さん、労働情報誌を立ち上げた樋口篤三さん、国労運動の師だった国労高崎の石田精一さん、そして江藤正修さん。気が付くと私が労働運動に参加してから40年間、師匠として尊敬し、憧れていた人たちは皆死んでしまいました。しかし泣きごとは言わず、江藤正修さんの夢が詰まった小さな本と一緒に、私はもう少し先まで闘い続けようと思います。

江藤正修遺稿集
『社会的労働運動の模索――明日を見つめた格闘の記録』

まえがき 前田裕悟
第1章  反戦青年委員会の総括
第2章  闘う労働運動の軌跡―『労働情報』運動を振り返る
第3章  国労魂とはなんだったのか?―国鉄闘争の総括
第4章  アメリカへの旅=争議支援の9日間
第5章  インタビューに答える (聞き手・川上徹)
あとがき 寺岡衛

・編集・発行 「江藤正修遺稿集」編集委員会
・頒価 1500円
〒347-0014  埼玉県加須市川口1299-9