国鉄闘争和解から半年たって

2011/02/14

 2011年、「窓」の更新を再開するにあたって、まず、昨年6月に和解した1047名の解雇撤回闘争について書いておく必要があると思います。前回、国鉄闘争に触れたのは2005年ですからもう6年も前のことですが、国労本部の統制を振り切り、鉄建公団に対する訴訟に踏み切った闘争団員300余人に対して、東京地裁が「不当労働行為はあった」と認める判決を出した。出したことは出したが、結論は「慰謝料500万円」。国家の手による不当労働行為で解雇され、当時すでに18年間にわたって苦しい闘いを強いたことの賠償が500万円とは…。これでは闘いをやめる訳にいかないと書いてから、さらに5年。昨年6月、解雇されてから23年をへて闘いは和解しました。和解から半年以上すぎて、今さら感想でもないのですが、「窓」はもちろん国鉄労働運動をベースにしたサイトですから、触れないわけにはいかないですね。出し遅れも出し遅れの証文ではありますが、国鉄闘争の和解について書いておきます。

 じつは昨年、思わぬ大病をした友人がいて、無事快癒して職場復帰したことを祝って私のアパートで酒を飲んだことがあります。6,7人ほど集まった仲間は皆、数十年来付き合ってきた国労の仲間。知り合ったときは20代になるかならないかの青年で、元気の良かった仲間たちもいつの間にかみな50代のおやじになってしまいました。呑んでいると誰かが、その何ヶ月か前に和解した1047名の解雇撤回闘争についての話をはじめました。皆が口々に、「良かったんじゃないか」「どっちにしても、いつか決着しなきゃいけないんだから」という風に言うのを聞いていて、そのときは、私もやっぱりそうだなあと思いながらビールを飲んでいました。

 和解金199億円。1人あたり2000万円余り。JRへの復帰については、努力するとは書かれているが積み残しというのが和解の内容です。国労本部が白旗をあげて、「JRに法的責任はない」と認めておしまいにしようとしたのが2000年で、その時政府が出すと噂された額が80万円。本部の統制を振り切って300人がおこした訴訟で東京地裁が出した金額が500万円。それが2000万円になっただけだと見ることもできるし、ほぼゼロ回答を10年かけて2000万円まで上積みさせたと見ることもできますが、不当解雇だったと認めて、解雇を撤回せよという私たちの要求が認められたわけではない。そうした和解を私の仲間たちが「良かった」というのは、やはり、闘い続けてきた闘争団の組合員と家族のこれまでの生活、そしてこれからの生活を思うからです。

 私と私のまわりにいる組合員は、ほとんど、北海道・九州で闘い続けてきた闘争団の組合員とほぼ同じ年代で、分割・民営化の当時、人材活用センターに入れられて解雇者リストに載せられていた者が大半ですから、政府の思惑どおり本州でも国労排除が進んでいれば、闘争団員の23年は私たちの23年になっているはずでした。そういう意味では、他人事を客観的に評価するのとは少し違う。もちろん自分のことではないけれど、ひょっとしたら自分がその立場に立っていたかも知れないという感覚がある。その仲間がみな、和解を認めているのを聞きながら、私はそのとき、「やはり和解したことは間違いではない」とあらためて思いました。

 もちろん、完全な名誉回復ではないし、失った生活と経済的な損失が戻ってきたわけではない。和解決着にいたる過程で当該の組合員と家族の中にはさまざまな思いが交錯しただろうし、苦しい議論も交わされたことが想像されます。しかし、分割民営からすでに四半世紀、闘う労働運動が解体され、新自由主義の大波が社会を覆い尽くすように拡大してきた中で、人生を賭けた苦しい闘いを続け、それなりの内容を伴った和解を勝ち取ったことは、大きく評価されるべきだと思います。和解を蹴って、さらに闘い続けろと言うことはとてもできない。中途半端かもしれない。失ったものに対して、回復するものはあまりにも小さいかもしれない。しかし、さらに闘い続けることで完全な勝利に到達する道筋を現実性をもって展望することができない以上、和解は正しい選択だったし、必要な選択だったと思います。

 私は、闘い続けてきた闘争団員と家族たちが、今後、少しでも平穏な生活、幸せな生活をおくることができるよう、とりわけ、積み残しになっている雇用の問題の解決をめざした闘いを応援し続けていきたいと思います。