久下 格
■■ 「国鉄とJRと関係ない」というへ理屈は世界に通用するのか? ■■
二〇〇〇年がやってきました。二〇〇〇年なんて、ずっとずっと先、そのとき自分がどこで何をしているかなど想像だにできない未来のことだっだのに、月並みな言葉でなんですが、年月のたつのは早いものです。分割・民営化の過程で行われた国労組合員の不当解雇から数えても十三年。解雇撤回闘争を闘う千余名の労働者も皆十三年分の年をとって平均年齢は五十歳を超えたと思います…(不正確ですが)。そして、国労組合員全体の平均年齢もまた、組合員が新入社員の千人に一人入るか入らないかの現状では…(これまた不正確な数字です)着実に高くなって、確実に四十代の後半になっていると思います。
こうした中にあって、昨年の春には、年内に何らかの決着をつけられるかも…という希望もあった国鉄闘争ですが、一年たって、闘いの展望はふたたび霧の中に隠れてしまった感があります。二〇〇〇年の大台にのったわれわれの闘いは、果たして今世紀最後の年に、満足のいく決着をつけられるのでしょうか。それとも闘いは、二十世紀から二十一世紀へと世紀をまたいで継続することになるのでしょうか。
昨年は国鉄闘争にとって、大きな事件が三つあったように思います。一つは「国鉄改革法を認める」ことを決めた三月の臨時全国大会。二つめは、臨時大会の決定を受けて進行するはずだった政府・自民党を相手とした和解交渉が頓挫した中で、闘いの総括と進路をめぐってもめにもめた八月の定期全国大会。これだけで終わっていたら、私はこの文章を書くのが非常に気の重い作業になっていたと思いますが、十一月になって国外から良い知らせがやってきました。ILO(国際労働機構)が、十一月十八日にひらいた会議で、分割・民営化の過程での不採用事件で、国労・全動労よりの中間勧告を採択したのです。国労は今、この勧告をよりどころとして、政府・自民党を解決に向けて動かそうとしています。
■■ 臨時全国大会 ■■
昨年三月八日の臨時全国大会で、国労は国鉄の分割・民営化を定めた「国鉄改革法」を「認める」という立場を「全会一致」で決定しました。この決定の背景にはさらに一年前(九八年)の五月二十八日、分割・民営化にあたって七千余人の国労組合員がJRへの採用を拒否された採用差別事件で、JRは不当労働行為の責任を問われないという判決を東京地方裁判所が出したことがあります。 不当労働行為を専門に認定する労働者救済機関たる労働委員会の決定をばっさりと切り捨てたこの判決は、勝利判決を最後まで確信していた国労と国労闘争団(=被解雇者)をしばらくの間、方向喪失状態にしました。そして、その方向喪失状態の中から国労本部が、というよりも、本部の一部指導部が考え出したのが「国鉄改革法を認める」ことを柱とする方針転換によって、政府・自民党を和解のテーブルにつかせるという方針だったわけです。一昨年夏の定期全国大会の直前になって本部書記長の宮坂氏が突如として提案した「補強五項目」なる方針案は、その唐突な提案のスタイルとあいまって国労組織を上へ下への大騒ぎに巻き込みました。そして大会では結局、大方の代議員が激しく批判する中で「継続審議」になったわけです。 大方の代議員の批判を浴びて一旦引っ込められた「新しい方針」でしたが、方針を提案した勢力は粘り強く巻き返しをはかり、結局、当初から新しい方針には批判的だった本部委員長が昨年の始めになってついに「国鉄改革法を認める」という方針に転換し、みずから新方針を決定する「臨時全国大会」を招集するに及んで、「国鉄改革法を認める」という方針が「満場一致」で決定される方向が確定したわけです。 「国鉄改革法を認める」という方針の背景には、いまだに二万人を超える勢力を維持している国労を何とか分割・民営化の流れに巻き込み、その流れに順応させたいという政府・自民党の思惑があります。五・二八不当判決直後に自民党は、(1) 国鉄改革法を承認する。(2) 係争中の裁判を取り下げる。(3) 他組合との関係を改善する。といういわゆる三条件なるものを、和解交渉開始の条件として国労に対して提示してきましたが、これは、白旗を上げて全面降伏するなら話を聞いてらやん事もないというに等しいものでした。この時、国労はこの提案を拒否しましたが、臨時全国大会に提案された方針は、この自民党の三条件を飲むものではなく、「国鉄改革法を認める」という一点のみを明確にするものであり、政府・自民党に降伏するものではないと説明されました。そして、「改革法を認めることによって、こちらの要求が通るのか」という、解雇された組合員などから出された当然の疑問に対して、本部は、「改革法を認める」という態度を表明すれば、和解が進展する「解決の道筋がついた」ということを言ったわけです。 闘争団の組合員は「改革法を認める」ということで、こちらが態度表明したわけだから、今度は、相手が態度を明らかにする番だということで、その後の状況を見守る姿勢をしめしました。
■■ 定期全国大会 ■■
臨時全国大会で国労が「改革法を認める」という態度を表明したにもかかわらず、その後状況は国労本部の言ったように進展しませんでした。自民党からは国労の「改革法を認める」という方針は「改革法の趣旨まで含めて認めたものなのか」と切り返され、さらに、自由党からも同様の態度表明があったことを受けて、国労本部は自民党には「国鉄改革法の主旨を含めて認めたものである」という文書を、さらに自由党には「国鉄改革法の意図を認めたものである」という文書を提出してようやく参議院七会派による官房長官への「解決の申し入れ」を実現したものの、結局、運輸省から「JR各社には法的責任がないことを認識し、不採用問題とは別の人道的観点からの解決策として新規採用問題を話し合う」などという解答がなされたのみで解雇され十二年間闘ってきた組合員と家族を納得させる和解にはほど遠く、結局、政党間協議の軸となってきた自民党と社民党の二党間協議は自民党から「冷却期間を置きたい」と表明されて、昨年六月に事実上中断したわけです。
八月の定期全国大会では当然、こうした経過に議論が集中しました。議論は本部が自民党と自由党に出した文書と運輸省メモへの解答として作成された「考え方」に集中しました。この三つの文書をを撤回しない限り経過を承認できないという声が多く出されましたが結局、経過報告は方針案と一括して「拍手採択」され、人事でも、この間、「五項目補強案」以来、方針転換による和解決着路線の先頭を走ってきた宮坂書記長を含めた執行部が再選されました。不透明な内部対立はそのまま残されたわけです。
今、一昨年八月に突然提出された「五項目補強案」以来、国労内部に対立を生みながら展開された和解解決への動きは、昨年半ばで一頓挫したまま中断しているわけですが、ここまでの動きを私なりに整理してみると、一つは、政府・自民党の側は基本的に五・二八不当判決直後に出した三項目の全面降伏要求の線から譲歩する考えのないこと、二つは、国労の側は、「全員の解雇撤回・不当労働行為の是正のため、八七年四月一日にさかのぼり地元JRに採用すること」を求めている国労闘争団=被解雇者から、何とか和解によって不採用事件に決着をつけ、JR各社との間にいわゆる「正常な労使関係」を結びたい一部幹部まで、戦線がバラバラにはなっていること、さらに三つは、国労とそれを支援する国鉄闘争全体とすれば、解雇された組合員を守るという一線で何とか踏みとどまったという事でしょうか。
■■ ILOの中間勧告 ■■
和解が頓挫して状況が動かなくなって以降、私はうっとうしい気分でした。現実的な解決が「政治による和解」以外に考えられない中で、そこに突っ込んでたどり着いた先が「JRには法的責任がないことを認識した上での人道的解決」という運輸省メモの水準であったわけで、「結局、現在の力関係とはそんなものか」という気がして、そして、それが頓挫したということは、このまま頑張り続けるしかないのかなあという気分でした。一番最初に書いたように、解雇された組合員の年齢も着実に高くなっていますし、「旗を守ってただ老いていくのか…」という厭戦気分に似た心情でした。そこに、国外から希望をもたらしてくれたのがILOの勧告です。十一月末の会議でILO(国際労働機構)が採用差別事件に対して、国労・全動労寄りの中間勧告を出したのです。
「中間」という意味は、団結権が不当に侵害されたかどうかの結論を得るには日本政府の提出した資料では不十分であるということであり、全体として中間勧告は団結権が侵害されたという認識を強く示唆しながら、日本政府に追加資料を提出することを求めるものとなっています。(資料参照)
ILOの最終勧告は今年三月に出る予定となっていますが、中間勧告が国労よりのものとなったことで、自民党と社民党を窓口にした和解交渉が頓挫して方向性を失っていた国鉄闘争は息を吹き返した感があります。先進諸国の労働組合と使用者、政府代表で構成されるILOが仮に、分割・民営化によって設立された別会社であるJRは国鉄の行った不当労働行為に責任を負わないという五・二八不当判決の結論をしりぞけ、JRに責任があるという結論を出したとすれば、それは闘いへの大きな援軍になることは間違いありません。
今、世の中では「グローバルスタンダード」なる言葉が大はやりで、アメリカ流の自由競争原理が社会のすべてを覆い尽くす感がありますが、ILOの勧告といえば、それは労使関係についての「グローバルスタンダード」(=世界の常識)とも言えるわけで、その世界の常識が国労の味方になるとすればやはり心強い。大体、不当労働行為のやり放題のあげく、民営化して別の会社になったのだから、責任は問われないなどということが通れば悪い事のやり放題なわけで、当時の中曽根政権は、国鉄に出向させた現役の裁判官まで動員して、そんなへ理屈を「法律」にしたててほうかむりしたわけですが、それが今、世界の常識=「グローバルスタンダード」によって評価されようとしているわけです。ILOは今年三月に最終勧告を出す予定になっています。この勧告を注視したいと思います。
■■ 「普通の駅員」にもどって一年半 ■■
さて、一昨年(九八年)の八月に十三年ぶりに隔離職場から「解放」され山手線のとある駅の「普通の駅員」にもどってからおよそ一年半がたちました。駅→要員機動センター→人活センター→売店→要員機動センター→駅と、流浪の果てにたどり着いた本務職場であり、JR発足とともに売店に出されて以降は、本務で苦労している組合員とともに考え、ともに闘っていくことを目標にしてきたわけですから、目標の一つを実現できたわけですが、一年半たってみて、予想していたとはいえ、やはり「苦しいなあ」というのが実感で、あまりパッとした話はありません。
私の駅では国労は四割の組織率を保っていて、孤立感はないし、仕事の上でもむしろ国労の方が主導権を取っているようなところもあるのですが、いかんせん、朝の「接客六大用語唱和」から始まって、「笑顔してますか? お客様よりも先にいらっしゃいませと言ってますか?」とか、そういうたぐいの「サービス」は、もう職場全体の「常識」となっているので身につけねばならないし、理不尽とも言える「お客様」からの注文や苦情に始終さらされて、たとえどんなに理不尽な苦情でも、「苦情が来るのは接客態度その他に問題があったからだ」ということになるので気は抜けないし、ぎりぎりの要員で回っているので、休憩時間を確保できないのはしょっちゅうで、サービス労働が常態化しているし、と、そういう状態なのだが、皆で胸を張って要求し、皆で胸を張って闘うというふうにはなかなかなりません。昇進試験で国労組合員が全然受からない構造は依然そのままだし。
こういう状況をどうとらえるのか、どう変えていくのか、その辺のところはまた別に書かねばならないのですが、やはり、こういう職場になってしまった背景には、分割・民営化の過程で、不採用=解雇からはじまって、さまざまな隔離職場をつくって、反抗的な部分から順に隔離職場にほうり込んで職場の組合を解体してきた政府・国鉄・JRの強圧的な労務政策があったのはまちがいありません。そういう意味でも、不採用事件の決着のつけかたは、職場の組合運動の今後に決定的な影響を与える可能性があるわけです。
ILOの勧告には強制力はありませんし、それに、ILO自身がいわば労使を和解させて社会を安定させるための「階級協調」のための道具であるわけですから、その勧告にひたすら望みをかけているようでは、本当の意味で職場の状況を変革していくことができないのは自明です。職場でどう闘うのか…もっともっと書くべきことはあると思うのですが、今回はこれだけにしておきたいと思います。
(2000/01/15)