'98/01/05(月) ● 専業主夫第1日目 ●
詳しい経過はおいおい書くとして、今日、98年1月5日は、私の5ヶ月間の専業主夫第1日目となりました。昨年5月29日に生まれた長男ユウを、産休2ヶ月の後、5ヶ月間育児休業して見てきたお母さんが、今月から職場に復帰するのと交代に、ユウが満1歳になるまで、育児休業の後半を私が引き受けるからです。
今朝は6時に起きて、まずお母さんと私の分の朝飯つくり。夜中に何回か起きてユウにおっぱいをあげたお母さんは、眠くてなかなか起きてきません。6時半に起きてきて、ご飯を食べはじめるころ、保育園に通っている5歳のおねえちゃん(リホといいます)が起きてきました。リホは好き嫌いが多くて、ご飯、干物、味噌汁という朝食は食べません。私がパン、卵、サラダ、牛乳の別メニューを用意している間に、お母さんは、ユウに朝御飯のおっぱいをやりました。
ユウの朝御飯が終わったら、お母さんはおねえちゃんの髪を結わえます。本当は、出勤の早いお母さんではなく、私がやればよいのですが、まだ修行の足りない私は、リホの髪がきれいには結えないからです。…という具合に書いていくと、延々と続いてしまいますから…、
今後5ヶ月間続くであろう、私の1日のあらましを書きますと…。
0600 起床。朝食つくり。
0730 母親出勤。
0830 ユウを抱っこして、5歳のおねえちゃんの手を引いて、バスで保育園へ。
0920 ユウと一緒に帰宅。
~1030 ユウをおぶって、洗濯、掃除。
1100 離乳食
1200 昼食
1400 離乳食
~ 夕食準備。風呂湧かす。
1630 おねえちゃんを連れてお母さんバスで帰宅。
(お母さんはユウが満1歳3ヶ月まで1時間30分終業繰り上げです)
1700 お母さん、ユウ、リホと一緒に入浴。
1730 夕食
ざっとこんなところです。
が、今日は初日からちょっと大変でした。というのもユウが年末からずっと下痢していて、お母さんの勤める病院に(お母さんは看護婦です)連れて行くことになっていたからです。リホを保育園に送っていって、先生やお友達や連れてきたお母さん、お父さんたちに新年の挨拶をしながら、昼寝用の布団にシーツを着け終えると病院に行きました。
小児科の医者は男親が子供を連れてくるのを嫌がるとお母さんは言います。
「いつから下痢してるんですか」
「さあ、もう3日ほど、いや5日かな」
「日に何回くらい便がでますか」
「何回だろう。結構回数は多いと…」
「昨日離乳食はどんなものを」
「さあ、ちょっと分かりません」
とか、まったく要領を得ないことが多いからです。しっかり答えられるよう、下痢が始まった日、それ以降の便の回数、便の状態、食べたもの、それに、1ヶ月前の検診で計った時の体重とか、これまでやった予防接種の種類とか、必要だと思うものをお母さんに聞いて、手帳に書いていきました。幸い、たいした質問はされずに、問題のある症状ではないという診断が簡単に下り、整腸剤と鼻水と咳の薬をもらって帰ってきました。
後は、初日のわりにはたいした問題もなく1日が過ぎて、私以外が寝静まった真夜中に、この文章を書いているわけです。(ああ、明日昼間眠いだろうなあ)
本日のトピック
* ユウを抱っこして帰ろうとしたら、保育園で担任でない、名前の知らない先生から、「今日からお母さんは出勤ですか」と聞かれて、「ええ、今日からお母さんとお父さん、交代です」と言ったら、「頑張ってください」と笑顔で励まされた。ちょっとした話題になっているのか?
* 以前と違う部署に職場復帰したお母さんが、新しい同僚に、「下のお子さんはどこに預けているの」と聞かれて「父親が家で見ている。育児休業だ」と言ったら、「ええ、そんなこと出来る会社あるの」と驚かれた。その後みんなで「出来るならそうした方がいいわねえ」という話になったのだが、その理由は「やってみたら、子育ての大変さがわかるだろう」というものだったようだ。
'98/01/08(木) ● 私が育児休業しようと思った理由 ●
今日で専業主夫4日が過ぎました。今のところ、わたしはまずまずの出来だと思っています。お母さんの採点はきっと厳しいものだと思いますが、まあ、気にしてもしょうがないし…。/01/05の日記に書いた「1日のあらまし」を、まずまず無難にこなしていると書いておきましょう。
ユウの下痢と鼻水がまだ止まりません。カレーくらいの固さまでもどった便がまた水みたいになったので、貰ってきただけで、与えるのを控えてきた薬を飲まそうかと思ったのですが、お母さんが「元気だから、まだ様子見ててもいい」と言うので、薬は与えていません。病気に関しては、何年も小児科の看護婦をしてきたお母さんの判断に任せることにしていますが、その他の、たとえば離乳食のことにしても、着るものの選択にしても、要するに判断が必要なことは全部お母さん任せです。まあ、彼女にとってはユウは2人目、私は今回が1人目ということは大きいのですが(1年前に私と結婚するまで、彼女は1人でリホを育ててきたのです)、しかし、平等に子育てするなどと言ってみても、これまで、私には子供を育てるための基礎的知識もそれに対する関心も、まるでなかったのだからしょうがないところです。さあて、5ヶ月後の育児休業あけには、この状態からどこまで進歩するのでしょうか?
ところで、まだ1,000人のうちの何人だかしかいない男の育児休業を、私が取ろうと思った理由は、やっぱり、男も女も平等に育児をするべきだと思ってきたというのが1つです。でも、本当に平等に、女と男が責任も実際の仕事も平等に分担して育児するということが果たして可能なのかどうか? 少なくとも私と彼女の関係では、ちょっと無理かなあと思います。それは、子供・家庭というものに対する思い入れが、自然な状態の心の中でまるで違っているからです。私の関心はやはり直接社会に向いていますし(その証拠に育児のことについてすら、こうしてインターネットに書いているでしょう)、彼女は、社会的な問題に関心を示すときにも、子供・家庭というものを通して(たとえば、これじゃあ子供がかわいそうだわねとか)、そういう具合になるからです。私は、ちょっと暇が出来るとパソコンをインターネットに繋ぎたがるし、友人たちと、今度はいつ飲めるかななどとすぐ考えますが、彼女の心はそんな風には動かないようです。だから、「平等な子育て」はとりあえず建前としてはありますが、「無理のない範囲でできるだけ平等に」私も子育てに参加しようというのが、本当のところかもしれません。
もちろん、「平等に育児するべきだ」という義務感だけで育児休業を取ったわけではありません。というよりも、「義務感」とはほとんど関係なく、楽しそう、面白そうだというのが理由のほとんどと言っていい。もちろん、子供が好きだというのが育児休業したもうひとつの理由です。まだ67センチ、7.3キロしかない赤ん坊ですから、こちらのちょっとした油断で、危ない目にあわせてしまうわけで(お母さんは大変心配しています)、四六時中目を離せないという緊張感はありますが、しかし、赤ん坊と遊んでいるのはもちろん楽しいものです。まだ4日しかたっていませんが、育児休業してよかったと思っています。
本日のトピック
* 家に帰ってきたお母さんは、まず、張り詰めてしまったおっぱいをユウにやるのですが、ユウを抱っこしながらお母さんが「この子、おっぱい飲んでてもお父さんばかり見てるのよ。もう、わたしよりお父さんが好きになっちゃったのぉ」と不満げに言った。ニンマリ。
'98/01/09(金) ● すんなり育児休業できたわけ(その1) ●
今日は、関東地方に記録的な豪雪、といっても横浜では20センチですが。でも、電車もバスも大混乱で、お母さんは「バス来ないならリホお休みさせてもいいよ」と言って出勤しましたがリホは「保育園行きたい」と言うので、ユウにすっぽり頭からかぶるポンチョを着せて、保育園におねえちゃんを送りに行きました。バスに乗る駅前とバスを降りる車庫の間で折り返し運転しているみたいで、行きのバスはすぐに来ましたが、帰りのバスが大混雑。いつもの倍の20分近く、満員のバスでユウを抱っこしているのは少し大変でした。満員だと空気も悪いし、かぜのウイルスいっぱいという感じで、赤ん坊はかわいそう。ずっと寝ていてくれてむずがったりしないでたすかりました。
私はJR東日本で働く駅員ですが、今回、育休を申請するにあたって、会社との間にまったく問題はありませんでした。申請して、止められる訳でもなく、さりとて励まされるわけでもなく、淡々と申請書類を提出して事務的にことが進んで、「5ヶ月間休業を命ず」という辞令が発令されたわけです。もちろん、子供が満1歳になるまでの育休は、男にも女にも認められた法律上の権利ですが、男の育児に対する社会の認識と日本の企業風土を考えると、男が半年近く育休をとるのには、普通、相当の困難があることが多いように思えます。前に、職場復帰したお母さんが「お父さんが育児休業している」と言って、同僚が「そんなことできる会社あるの」と驚いた話を書きましたが、そう考えるのが普通ではないでしょうか。それが、私の場合、表面的には何の障害もなく認められ、何も重大な決意などせずに育休生活に入れたのには二つほど理由があります。
一つは、私が加入している組合の問題です。JRには会社と仲のよい多数派組合のほかに、国鉄時代から続く国鉄労働組合(国労)という組合があって、私は全国で3万人弱が加入している国労の組合員です。国労は国鉄が分割・民営化されるときに、政府や国鉄当局から徹底した組織攻撃を受けて少数組合になりました。それ以降、政府・JR会社との間で続いている労使紛争ついては労働運動のページを見ていただくとして、労働者の権利を守ることを何より大切にしている国労の組合員である私が、法律上の権利を行使するのに、何か言われることは普通ありえません。会社や上司が何か言えば労使間の問題になるからです。もっとも、今回、申請を出すにあたって、上司とは何も相談していませんし、上司からも何も言われてないわけで、会社として本音のところでどう考えているのかは分かりませんが。
二つ目の理由も一つ目と関係が深いのですが、こちらの方はちょっと生臭い話なので、いずれ書きたいと思います。結局、育休をとるにあたっての心理的な障害は、今年4月の昇給が4分の1カット、来年が4分の1カットで、計半年分昇給が遅れることが一番大きかった。これも、実質半年休むのだからしょうがないと言えば言えるけど、まだ20年近く勤める? はずの会社でずっと響くわけだから、いやだなあという感じでした。(昇給が遅れることへの不満というのは、定年まで同じ会社で働くつもりの企業人間なら良く分かることだと思います)
本日のお食事
*ユウ*・[1回目] シラス入りおかゆ、大根、にんじん、かぼちゃ、豆腐、ミルク。
・[2回目] うどん、ささみ、サツマイモ、ブロッコリー、豆腐、味噌汁、りんご、ミルク。
*夕食*・鮭のホイル焼き、カブの煮物、ひじき、ジャガイモと油揚げの味噌汁。
'98/01/12(月) ● 第2週にはいる ●
土曜、日曜とお母さんはお休み。休みの間、昼と夜のご飯はお母さんが作ってくれたので主夫としては大助かりでした。5日間の採点を聞いたところ、1日目95点、2日目70点、3~5日目90点という答え。「ええ、そんなにいい点くれるの」と驚くと「だって、ちゃんとやってるじゃん」とのうれしいご返事。
それで、今日からいよいよ2週目にはいりました。土曜、日曜と下痢が止まって喜んでいたのですが、今日はまた3回うんちをして、うち1回が水状だったのが少し心配ですが、相変わらずお母さんは平気なようでした。
行動観察
ユウの行動について、ここ数日気がついたこと。(1) 顔をタオルで隠したり、顔から外したりして遊ぶようになった。いないないばあ、のつもりなのか? (2) 手に持ったものを取り上げられると、ぶぅーという声を上げるようになった。抗議の意思表示が出来るようになったようだ。(3) 相変わらずよく転ぶ。長ければ数十秒間立つことが出来るようになって半月ほどだが、 まだ一歩踏み出すことはできない。立つことが面白いので、何かにつかまっていた手を放しては、すくっと立って見せるがよく転ぶ。立った姿勢から尻を降ろして座ることができかけているので、座れなかった時よりはましだが、それでもこてんこてんとよく転ぶ。ころんで頭を打っては泣いている。大丈夫なのかと心配してしまう。
本日のお食事
*ユウ*・[1回目] ささみ入りかゆ、ジャガイモ、にんじん、グリーンアスパラ、ミルク。
・[2回目] しらす入りかゆ、サツマイモ、ブロッコリー、りんご、ミルク。
*夕食*・ロールキャベツ(お母さんの週末の作りおき)、カブときゅうりのサラダ、さつま揚げ、コーンスープ。
'98/01/19(月) ● 保育園の面接に行く ●
気がつけば、知らないうちに1月も後半、専業主夫も3週目に入りましたが、今日は、朝、おねえちゃんを保育園に送っていった後、4月からユウを預けるつもりの保育園の面接に行ってきました。おねえちゃんが通う区立(横浜市立だっけ?)の保育園に、ユウも4月からお世話になるつもりで、その面接が今日だったのです。両親とも働いていて(または違う理由で)日中、両親または祖父母等が保育できない子供以外は保育園には入れません。両親の就業場所、時間、家庭環境等を書いた書類を福祉事務所に持っていって、係員に入園が必要な理由を説明するわけです。しかも、公立の保育園だといっても、義務教育と違って、条件が満たされていれば必ず入れるというわけではありません。区の案内には「保護者の勤務状況や家庭状況などから、保育所に入所できる必要性の高い児童から順に入所の決定をします」という非情な文字がしっかり書いてありました。
それで、お母さんに「入れなかったら他の施設をあたりますとか言っちゃ駄目よ。絶対入れてください、入れなかったらどちらかが仕事やめなきゃならないとでも言ってきてよ」と、強く釘を刺されて行ったわけです。実際、仕事をやめるかどうかはともかく、入れなければ大変苦労することになります。かりに、民間の施設(適当なところがあるのかどうか、よく知りませんが)に預けることができたとしても、私が職場復帰する6月以降、朝、おねえちゃんとユウを別々の施設に預けてから出勤し、夕方、また別々の施設で引き取ってこなければならなくなるわけで、多分、その役は、東京まで通勤している父親の私ではなく、母親に回ってくるわけですから、真剣にもなるわけです。
でも、面接会場の、5人ほどの係員が机を並べているところに、順番に座って書類を出す機械的な面接で聞かれたことは、「母親が1月から職場復帰しているようだが、今、誰が見ているのか」「他の公立保育所にも申請しているのか」「預けることになったら、誰が送り迎えするのか」ということだけ。当然、最初の質問には私が育児休業していると答え、後は、「他には申請していない」「両親で交互に送り迎えする」と答えて、5分ほどの面接は終わりました。
面接会場には保育園の園長さんも来ていました。おねえちゃんを預けていて顔は見知っていますから、思わず愛想笑いして、「よろしくお願いします」と深々と頭を下げてしまいました。入園者の決定には、現場の責任者である園長さんもかかわっているらしいから。実は、おねえちゃんと同じ組のお母さんに「うちは下の子が入るとき、園長先生に推薦状を書いてもらいましたのよ。おたくも園長先生には挨拶されましたよね」と言われて、ええっ、そうなのか、我が家はそんなこと何もやってないよと、焦っていたのです。愛想笑い一つで何が変わるものでもないとは思いますが、入れなかったときの苦労を思えば、やっぱり、お辞儀の角度も深くなるというものです。結果が判明するのは2月末以降。どうなることやら(って、人ごとじゃないけどね)。
ここで意見させてもらえば、保育園が足らないことは、まさに行政の貧困の最たるものの一つだと私は思います。保育園に入れないで苦労したと話は、私と妻のまわりにいくらでもある。私の住む横浜市は、苦肉の策として、とりわけ需要が多く施設の足らない0歳児保育のため、文部省の決めた基準以下であっても、「横浜市認定」という形の施設を増やそうとしているようですが、現状はまったくお粗末としか言いようがありません。バブル期にどでかい「箱物」を作りすぎて赤字で首が回らなくなっている(と聞いています)横浜市政を、誰か刷新してくれないだろうか。
行動観察
つかまり立ちから手を放し、次の一歩だけ出るようになった(01/15発見)。これを歩きはじめたと言うのか。言わないよな、まだ。
本日のお食事
*ユウ*・[1回目] しらす入りかゆ、味噌汁、かぶ、大根、はんぺん、ヨーグルト、ミルク。
・[2回目] レバー入りかゆ、りんご、にんじん、たまねぎ。
*夕食*・カレー、ワカメとレタスのサラダ、しゅうまい(冷凍)。
'98/01/20(火) ● 予防接種に行く ●
夕方、小児科のお医者さんに予防接種を受けに行きました。母子手帳によれば、子供が「受けるように努めなければならない」(予防接種法)と定められているのは、ポリオ、ツベルクリン検査とBCG、三種混合(ジフテリア、百日咳、破傷風)、麻疹、風疹、日本脳炎の5種類(8種類の病気)だそうで、今日行ったのは三種混合というやつです。「協力医療機関」に指定された小児科の医院に,決まった曜日、決まった時間に母子手帳を持っていけば、ただで予防接種をしてくれます。予防接種については、その効果と副作用の弊害についていろいろな意見があるようですが、その方面にうとい私は、ここでもまた、看護婦であるお母さんの「行ってきて」という指示にしたがったわけです。それで今日は、若いお母さんと乳幼児だらけの甘ったるい匂いがする(ような気のする)小児科医院で二つのことを発見しました。
*発見1 赤ん坊は注射が恐くない * 当たり前といえば当たり前だが、ユウは注射が恐くない。もちろんそれは、針を刺す-痛い-恐怖…という観念の連鎖がないからである。針を刺されても直後は泣かず、注射液が注入され針が抜かれて一呼吸してから泣き出したものの、あやすとほどなく泣きやんでしまう。それにひきかえ、2歳ころと思われる子供は、病室から待合室まで響き渡る泣き声をあげ、待合室に帰ってきてからも、また、ひきつけたように泣き出して母親を困らせていた。恐怖に歪んだ表情を見ていると、待合室に帰ってきてからの泣き声は、恐怖の体験が観念として固定され、その固定された観念を思い出すことによって泣いているように見えた。ユウは、チクッとする針の痛みが恐怖の体験として心に刻まれることがないので、物理的な痛みがなくなれば泣き止むのだ。家に帰ってお母さんに聞くと、注射が恐い物だと理解するのは、大体1歳半ばくらいからだそうだ。
*発見2 小児科に来るお母さんは皆化粧している * 予防接種に子供を連れてきたお母さんたちは、着ているものこそトレーナーやセーターにジーンズが多いが、皆きれいに化粧しているのには驚いた。私など、子育て中のお母さんといえば、すっぴんで髪もひっつめという感じがするのだが。肌が荒れて化粧の乗りの悪いような人はおらず、皆、こざっぱりとした身なりで、知り合いなんぞを探し出しては生き生きとお喋りしてる若いお母さんたちにひきかえ、朝起きたままきのうからの髭も剃らず、跳ね上がった髪の毛にくしも入れずにやってきた私は、われながら少しみじめな感じ。そういえば、きのうの保育園の面接でも、みな若いお母さんと子供たちの中に中年の男一人だったが、違和感を感じなかったのと違って小児科は居心地が悪かった。多分、共働きでいそがしいお母さんたちが、身なりや化粧にあまり気が回らないのに比べて、若い専業主婦が多い(と見た)小児科待合室のお母さんたちは、入念に化粧する暇というか余裕があるのだろう。帰ってからこれもお母さんにそう言うと、「客層が違うのかもね」と一言。やっぱり。私は断然、保育園に子供を預けて忙しく働いているお母さんの方と気が合います。
本日のお食事
*ユウ*・[1回目] パンがゆ、レバー、鳥がらスープ、にんじん、たまねぎ、キャベツ、大豆、ミルク。
・[2回目] しらすと卵入りかゆ、ほうれん草、大豆、鳥がらスープ、にんじん、たまねぎ、キャベツ、ミルク。
*夕食*・生姜焼き、五目豆、サラダ。(お母さん作)
'98/01/22(木) ● 寝ません ●
ここ2日ばかり、ユウが寝ません。今日なんか夜11時近くまで、ぱっちりした目でキーキー騒いでました。お母さんは仕事がきついらしく(まあいつも早く寝る人ですが)、「眠いーっ」とか言って、9時前には一人で寝てしまい、おねえちゃんとユウの世話は私に回ってきてしまいました。おねえちゃんのリホが、これがまた寝ない。このごろ、寝付くまで背中を「トントン」手のひらで叩いてもらわないと眠れないのは、ユウが生まれてから「のけ者にされている」ように感じてしまうからで、「ユウばっかり抱っこしてもらってずるい」と思っているからです。何かの拍子にユウが泣き出すと「ほらほら、どうしたの」とか何とか、お母さんでもおとうさんでも優しい顔で抱っこするのに、自分が「寝かせてぇ。お話してぇ」と甘えると、「早く寝なさいです。なにぐずぐず言ってるの」と怒られる。この経験は、やはり5歳のおねえちゃんにとって「人生上の危機」であるわけで、少し目に余るくらい甘えたになってしまっているのです。それで、おねえちゃんは「寝かせてぇ、トントンしてぇ」とくるし、ユウはキーキー言いながら這い回るし、お母さんは寝ちゃっているし、私はキーっとなってしまうのです。それで、ほとんど本気で、「一人で寝なさい。お母さんの横に入ったら寝られるだろう」と、おねえちゃんにきつい声をだすと、おねえちゃんはますます「イヤー」と泣きべそをかく。そこで、私はようやくあきらめて、ユウを左手で抱っこしながら、おねえちゃんを布団に押し込んで、口からでまかせの、どらえもんとのび太がロケットに乗って星に行く「お話」をしてやって、それでも寝ないから、右手でトントンしてたわけです。ついさっきまで。
私は、「何で知らんふりして寝てんだよ」と、途中まで、子供をあやしながらお母さんに対してプリプリしてたわけですけど、怒りながら、はたと気がついたんです。考えてみると、よく聞きますよね、この逆の話。夜中、子供が泣いてもお父さんは絶対起きてこないで、グーグー寝てる。眠い目を擦りながら起きてきたお母さんが、子供をあやしながらプリプリしてる話。お母さんが育児休業中は、私夜中に子供が泣いたとき、1回も起きなかったもん。お父さんには「俺は仕事で疲れてるんだ」という大義名分があるんだけど、逆になったら、お父さん、やっぱりプリプリ怒るわけです。
本当は、今日はちょっと自慢したい鳥がらスープなど、離乳食の話も書きたかったんだけど、もう0時40分、明日眠いので寝ます。おやすみなさい。
本日のお食事
*ユウ*・[1回目] 鮭入りかゆ、鳥がらスープ、キャベツ、にんじん、たまねぎ、豆腐、サツマイモとかぼちゃのサラダ、ミルク。
・[2回目] 鮭入りかゆ、鳥がらスープ、キャベツ、にんじん、たまねぎ、ほうれん草、サツマイモ、豆腐、ミルク。
*夕食*・むつの西京焼き、自家製がんもどき、サツマイモとかぼちゃのサラダ。(残念ながら、今日もお母さん作)
'98/01/23(金) ● お母さんお出かけ ●
てっきり木曜日だと思っていたら、金曜日なんです。えっもう1週間終わりなの、5日間も主夫やったんだっけという感じ。土曜、日曜はお母さんがいてくれるので楽。週末が来るのが楽しみです。今日は、曜日を間違えていたおかげで1日得した気分になりました。
お母さんが夜お出かけ。勤めている病院の看護婦さんの会の新年会だそうです。帰ってきてユウにおっぱいをあげて、風呂に入れてから、少しめかしこんでお出かけになりました。晩御飯はリホと私だけですから、いつものように「これ食べない」「食べなさい」「食べられなーい」「食べろ」とけんかするのもいやだから、リホの好きな物だけ作ったつもりなのに、「このスープ、味ない」と言われて少しむっとしました。鳥がらから作った本物のスープなんだぞ、まったく。
お母さんはめったに夜出かけないから、9時を過ぎるとリホは「お母さん帰ってこないよ」と不安そう。ユウがむずがるのでミルクを作って飲ませて抱っこすると、やっぱりリホも「私も」と言って膝の上に割り込んできます。結局、リホを布団に押し込んで、右手でユウを抱えながら「7ひきのこやぎ」を読んで聞かせてから、眠くなったユウを抱っこして寝かせて、それから、恨みがましそうな目でユウを見て、まだ寝ないリホをトントンして、ようやく二人とも寝かせました。私も昨晩1時近くまで「日記」を書いていたせいで眠い。うとうとしていたらお母さんが帰ってきました。
本日のお食事
*ユウ*・[1回目] ひじき入りかゆ(ひじき、にんじん、さつま揚げ、大豆)、かぼちゃ、ささみ。
・[2回目] うどん、白菜、ちくわ、りんご。
*夕食*・ハンバーグ、ポテトサラダ、コーンスープ、ひじき。
'98/01/26(月) ● 公園デビューへの道 ●
1年ほど前まで「公園デビュー」という言葉を知りませんでした。この日記をお読みの方の中にも、とりわけ男性にはお知りでない方がいらっしゃるかもしれませんが、要するに、赤ん坊を抱いたり、乳母車(死語ですね)、ベビーカーにのせたりして近くの公園に行って、同じようなお母さん連がべちゃべちゃ喋りがてら、子供を遊ばせている輪の中に入っていくことです。その公園デビューを果たさねばならないと、密かな野望を抱いていたのですが、寒い日が続いてユウを外に連れ出すことができず、延び延びになっていました。それが、ここ2日ばかり暖かい日が続いたのを機会に、ユウを連れて外に出て、果敢にも「おとうさんの公園デビュー」に挑戦したんです。
私の住んでいるのはJRの社宅です。幼稚園に行く前の子供が10人ほどいて、30歳前後のお母さんたちは、冬でも暖かい日には、2棟ある社宅に挟まれた中庭や、線路と社宅の間の庭にある日だまりで子供たちを遊ばせています。これまでも、おねえちゃんのリホをぶらんこに乗せたりして遊ばせている時、あいさつすることがあって見知ってはいますが、ユウを抱っこして、ママコート(って言うんだっけ? 抱っこした赤ん坊ごとかぶれるコートです)羽織って外に出て、いきなりお母さん連のお話の輪の中に突入する勇気はありません。それで、ユウと一緒に外に出た私は、中庭の砂場のあたりでべちゃべちゃ喋っているお母さんたちに、5メートルほどの距離まで接近した時点で、できるだけさりげなく、明るく、「こんにちは」と声をかけると、5人ほどいたお母さんたちからも、屈託のない「こんにちは」という声が返ってきました。私は母と子の集団から少し離れた花壇の縁に腰を下ろすと、ユウをコートから引っ張り出して、枯れた芝生の上で遊ばせてみました。ユウは30秒くらいなら、ひとりで立てますし、伝い歩きは日に日に自然になっています。それで、両手をもって芝の上に立たせて「いちに、いちに」と声をかけて歩く練習です。内心は、お母さん連は「おとうさんの公園デビュー」をどう思ってるのだろう、向こうから声をかけてくるだろうかと、幾分緊張気味なのですが、わたくし、緊張していることを気取られるようなやわではありません。ごく自然に(?)、ごく普通に(?)、ユウと遊んでいるとゆきちゃんがやってきました。
ゆきちゃんは3歳になったばかりの女の子です。ユウのことを見たいようです。こんにちはというと、大きなひとみでユウから私に視線を移しますが、まだ、「こんにちは」は言えないようです。その後からもうすぐ4歳になる修平君がやってきました。手にプラスティックのバケツとシャベルを持っています。修平君もユウを見ていますが、でもゆきちゃんほどの興味は示しません。大体、3歳くらいで、もう女の子は赤ん坊を「いいこいいこ」したりして、あやしますが、男の子はあまり赤ん坊をかまいません。やはり女の子はお母さんの真似をして、男の子はおとうさんの真似をするからでしょうか? 結局、子供たちがどんどんユウのところに集まってきて、それで、お母さんたちと子供たちの輪の端っこに入りかけたかなという時に、ベランダごしに電話が鳴っている音が聞こえてきて、だれかが、「おとうさん、電話鳴ってますよ。ユウ君見ててあげるから」と言って、私はお母さんのひとりにユウを抱っこしてもらうと、ベランダの柵を乗り越えて電話を取りに行き、それがきっかけで、砂場の集団の一員になりました。でも、若いお母さんたちの会話の輪に、おじさんが1人すっぽり入り込む訳にはいきません。会話の中味には大変興味があるのですが、楽しい会話を妨げないよう、お母さんたちの輪から少し距離を取ってユウを遊ばせました。
ところで、「公園デビュー」は、隣近所の付き合いが解体した現代の都市生活で、育児をきっかけに、若い母親が隣近所、同じような母親同士の行き来をはじめるきっかけになっているようです。たとえば、誰も知る人のいない町のマンションに引っ越してきた若いお母さんなんかの場合、うまく公園デビューを果たせれば、互いの家に上がり込んでお茶を飲むような友達を得るきっかけになる。逆に、うまく公園デビューが果たせずに、マンションの中に閉じこもりきりになってしまう親子もいるようで、そうなると、母親も子供も不幸ですね。だから、「公園デビュー」は現代の若い母親にとって重大な問題なのだそうで、うちのお母さんによれば、母親向け雑誌には、よく「公園デビューのノウハウ」特集が載っているし、デパートに行けば「公園デビュー」用の子供服なるものが売っているそうです。そういうことから考えると、「おとうさんの公園デビュー」第1日目はとてもうまくいったと思います。まあ、「案ずるより生むがやすし」ですか。本心を言えば、どうなるか、とても心配だったんです、私。
社宅の人々が私の育児休職についてどう思っているのか? 引っ越してきて1年ちょっとたちますが、あまり親しい人がいないのでわかりません。そのうちに、公園で子供と遊んでいるお母さんたちの考えでも聞けたら、この日記に書きたいものだと思っています。
本日のお食事
*ユウ*・[1回目] かゆ、味噌汁、ハンペン、大根、ブロッコリー、豆腐、ミルク。
・[2回目] しらす入りかゆ、味噌汁、ハンペン、豆腐、ヨーグルト、ミルク。
*夕食*・オムライス、肉じゃが、かぶのスープ。
'98/01/27(火) ● 友人が死にました。残された子を思うと… ●
若い友人が死にました。私よりほぼ10歳年下の34歳。馬場君と言います。死んだのは25日朝、というよりも、まだ朝には遠い午前3時が死亡推定時刻です。朝起きた奥さんが気づいたときには、もう冷たくなっていたと聞きました。10年以上前、独身寮にいた時に、突然心臓が停止して死の淵をさまよったことがあり、その時は、たまたま友人が部屋を訪ねてきて発見したために一命を取り留めました。その後、医者にはかかっていなかったようですが、司法解剖でも「心臓ではないか」ということで、死因の断定はできなかったようです。
本日、通夜に行って来ましたが、にこやかに笑っている祭壇の写真を見ても、突然いなくなったことがとても信じられませんでした。4歳と1歳の男の子がいます。気丈にも涙を見せずにいる母親に、お兄ちゃんがじゃれついている姿を見て涙が出ました。まだ「死」を知らない4歳児は、これからどれくらいの間、「おとうさんはどこに行ったのか」と聞いて母親を困らせ、そして泣かすのでしょうか。
下の子が生まれた一昨年、お産の後の母親の経過がとても悪く、馬場君は育児休職して母親と子供たちの面倒を見ました。だから、私が育児休職をすることを知って、馬場君は今年の年賀状で、「休むんですか。頑張ってください」と書いてきてくれたのですが…。母親と子供2人の行く末を思うと暗澹たる思いにかられました。今の日本社会の現状では、共働きの両親と幼い子供だけの家庭で、両親のどちらかがいなくなったら、残された者だけではとても暮らしていけないと思いますから。ただ頑張ってくださいとしか、今は言うべき言葉が見つかりません。
本日のお食事
*ユウ*・[1回目] パンがゆ、かぶとトマトのスープ、ハンペン、ミルク。
・[2回目] うどん、かぶとトマトのスープ、かぼちゃ。
*夕食*・煮魚だったようだ(通夜に行っていたのでお母さん作)。
'98/01/29(木) ● 歩いた ●
今日、昼間、社宅と線路の間の庭の枯れた芝生の上で遊ばせていたら、トントントンと、4歩ほど歩きました。思わず「ああ、歩いてる、歩いてる」と大きな声を出して、近くにいたお母さん連に見てくれるよう催促してしまいました。ユウは去年5月29日生まれで、今日満8ヶ月となったわけですから、ずいぶん早く歩いたことになります。体重は1月5日時点で7.3キロと小さいのですが…。別に早く歩きはじめたからいいというものでもないのですが、寝返りでも、はいはいでも、歩くのでも、早いと安心だし、どこか自慢したくなりますよね、やっぱり。
夕方、帰ってきたお母さんにそのことを言うと、予想していたとはいえ、ユウの最初の一歩を私が見たことが悔しそう。部屋の中で靴下を脱がせて身軽にし、私が夕食を作っている間に、「歩け、歩け」と催促していると思ったら、隣の部屋から「ねえ、今7歩歩いたわよ」という声あり。
本日のお食事
*ユウ*・[1回目] しらす入りかゆ、レバーペースト(レバー、トマト、たまねぎ)、ジャガイモ、りんご、ミルク。
・[2回目] チーズ入りパンがゆ、かぼちゃ、ヨーグルト。
*夕食*・サワラの西京漬け、大根とさつま揚げの煮物、にら玉。
'98/01/31(土) ● 後ろ前だったのかぁ ●
土曜日なのでお母さんがいます。ユウを外に連れ出すのに、砂場着(木綿のつなぎです)を着せているのを見ていると、おととい私がユウを外に出すとき着せたのと、前、後ろが逆です。そう言うと、「ええ、反対に着せたの?」とおっしゃる。どうも、マジックテープで閉じるようになっているのは後ろだったようです。あー、それじゃあ、この前あそこにいたお母さん連はどう思っていたんだろうと心配になっていると、案の定、1時間近くユウを遊ばせて帰ってきたお母さんが言いました。
「みなに、この前、おとうさん後ろ前に着せてたよって言われたわ」
「みなにか」と、私。
「そう、みんなに。ああ、逆に着せてるって、みな思ったらしいけど、芝生だから汚れるわけでもないし、一生懸命遊ばせてるのに、逆ですよって言うのもなにかかわいそうだって思ったみたいよ」
そうか、俺たちを見て、にこにこしながら「あらぁユウちゃん」なんて言ってたくせに、内心ではみな「あらあら、反対着せちゃって」とか思ってたわけか、くやしいぞうなどと考えてたら、
「それからねえ、歩いてる歩いてるって、大声で言ったんでしょう。ずいぶん興奮して、なんか、みんなに、見てください、見て、見てって感じだったわよって」
と追い討ちをかけられちゃいました。
本日のお食事
*ユウ*・[1回目] しらす入りかゆ、かぼちゃ、ポテトサラダ(にんじん、コーン)、ミルク。
・[2回目] チーズ入りパンがゆ、かぼちゃ、ヨーグルト。
*夕食*・ロールキャベツ、ジャーマンポテト、切り昆布。(お母さん作)