尼崎事故と分割・民営化

2005/06/19 

 2005年4月25日、JR西日本福知山線尼崎駅付近で、快速電車が脱線して線路脇のマンションに激突、約800人の乗員、乗客中の107人が死亡し549人が負傷した大事故の原因は、時速70kmに制限されているカーブを108kmで走った速度超過だと見られています。23才の若い運転士は、直前の駅でオーバーランして生じた1分半の遅れを無理矢理回復しようとしていたのでしょうか? 運転台でノッチを握ったままペシャンコになって死んだ彼から、本当のことを聞くことはできません。

 若い社員に話してみると…

 今回の事故は、死亡した運転士が23才と若かったこともあり、国鉄など知らない、20代の若いJR社員も真剣に考えざるを得ないようです。JR西日本の「日勤教育」には、労使協調体制から排除された旧動労系の組合に対する労務政策の意味合いもあるんだというと、「へえっー、裏があるんですねえ」と驚くので、ついでに、本来の仕事からはずして草むしりや便所掃除を強制すること、就業規則などを延々とまる写しさせたり、レポートを書かせたり、「あんなことは、みな、俺たち国労がやられてきたことだ。俺だってそれで7年半も駅の売店で、新聞やガム売ってたんだから」と言うと、「そうなんですかぁ」と考え込んでいました。過去の、自分とはまったく縁のない話だと思っていた国鉄時代の労使紛争が、今のJRにも影を落としているのだということを、ちょっとは感じたのではないでしょうか。

 余部、信楽、…尼崎

 国鉄からJRにかけて、関西ではいくつかの鉄道事故がおきています。国鉄時代の最後、山陰本線の余部鉄橋でおきたお座敷列車の転覆、落下事故。JRになって第三セクター化された信楽高原鉄道でおきたJRの列車と高原鉄道の列車の正面衝突事故、さらに、数年前におきた、人身事故の処理にあたっていた救急隊員を後ろから来た特急列車がはねた事故。いずれも、定時運行を優先する体質と、それを労働者に無理矢理押しつける労務政策が生み出した側面があることは明らかです。「安全の確保」は、建前としてはいわれていても、少しのミスが直ちに勤務成績に反映し、乗務はずし、さらし者にされるような「日勤教育」の強制に直結しているような職場ではお題目でしかありません。少しのミスもとがめられる恐怖の支配する職場では、ミスを犯して生み出した列車の遅れを、安全を軽視しても回復しようとする危険な試みが常態化すること、ミスや小さな事故が報告されなくなり、もみ消しや過少申告が生まれるのは当たり前です。こうしたJR西日本の企業体質はどうして生まれたのかを考えてみると、やはり、労働組合の抵抗を徹底的に押さえつけながら、国鉄を解体して民営化を強行したJR誕生の過程にあるのは明らかです。「職場を押さえていた国労」を強権で解体し、労働者の自主性を根こそぎにして、国家権力による不当労働行為と恐怖による職場支配で分割・民営化を推し進めてきた人たちの経営手法が今問われているのだと思います。

 最悪の労務管理…「日勤教育」

 ささいなミスで乗務をはずされ「日勤教育」のなかで自殺した運転士のことが報道されましたが、分割・民営の過程では、国労からの脱退を強要されたり、仕事上のミスをとがめられて、本来の業務をはずされたりしたなかで、200人を超える国労組合員が自殺しています。国労の活動家はねらい打ちされて本来業務から排除されたのですが、私が排除されたあとの駅でも、何万円かの不足金をねたに横領呼ばわりされて厳しい取り調べを受けた組合員が自殺しました。私たちは一斉に喪章をつけて抗議しましたが、喪章闘争には処分が発令されましたし、葬儀にきた当局の責任者に抗議した組合員にも処分が発令されました。当時は、いわゆる国鉄の「ヤミ手当、カラ出張、ポカ、たるみ」についての報道が新聞紙面やテレビニュースで連日報道され、国鉄職員国賊論とも言える雰囲気が社会のなかに作り出されるなかで、私たちが職場で持っていた交渉権は剥奪されて、恐怖が職場を支配し、多くの仲間が脅されてやむなく国労を脱退していきました。(この時代のことは、当ページのメインである、大恋愛小説(ハハッ)「見晴らし荘のころ」に詳しいので、ぜひダウンロードしてお読み下さい)。それから現在まで、恐怖心によって労働者を支配する手法で国鉄を分割・民営化した人々がJR各社の経営陣に居座り続けているのです。
 今問題となっている「日勤教育」は、JR西日本の井出相談役が言うような、「ミスを犯した人に対する当然の再教育」などでは断じてありません。ミスを口実に仕事を奪うという脅しをかけて、恐怖心によって人格を支配しようとするもっとも悪質な労務管理の手法です。「日勤教育」には、運転技術を磨き直すためのマニュアルもなく、期間についての取り決めもなく、長さは現場長に一任されています。運転士の仕事を続けられるのか否か、生殺与奪の権限を与えられた管理者のもとに放り出された労働者の恐怖と苦しみを、私たち国労組合員はよく理解できますが、分割・民営化以降、こうした手法が多くの企業に広まっているような気がするのです。

 JR西日本の経営基盤と尼崎事故

 JR西日本は、東・東海・西の3社に分割された本州の鉄道会社のなかで一番経営基盤の弱い地点から出発しました。東日本の経営を支える首都圏の路線のうち、山手線は国鉄時代から優良路線の稼ぎ頭で、東海道線、横須賀線などの通勤路線も国鉄時代から黒字で私鉄との競争にも耐える構造を持っていました。また、東海は東海道新幹線という超優良路線を持っています。これに対して西日本は京阪神の通勤・通学路線と山陽新幹線を軸にした経営になっているわけですが、経営を支えることを期待された京阪神の路線は、国鉄時代には私鉄との競争力をまったく持っていませんでした。福知山線や片町線、奈良線などはローカル線に近い実態だったと記憶しています。京都・大阪間も阪急・京阪が圧倒的に優位でしたし、神戸・大阪間も阪神・阪急が優位に立っていた。「私鉄王国」と言われる関西圏で稼ぐことを求められて発足したJR西日本は、民営化後、列車本数の急速な増加とスピードアップによって私鉄から乗客を奪う形で収益を確保してきました。
 巨大な全国一社では組織が官僚化して競争原理が働かない、適正な規模に分割・民営化すれば、責任体制がはっきりし、競争原理によってよりよい鉄道になると言われ続けてきたわけですが、今回の事故は、無理に無理を重ねて競争してきたJR西日本の抱えてきた弱点がついに爆発したという側面が強いと思います。atsが旧式であったことが取りざたされていますが、なぜJR東日本では首都圏の約100km圏でほぼ100%設置されている新型atsがJR西日本では未設置だったのか。経営者に安全に対する意識が欠けていたからか。経営基盤の違いからそうならざるを得なかったのか。もちろん、安全に配慮しなかった経営体質は問われなければなりませんが、その背景にある分割・民営化政策の問題点までさかのぼって考えねばならないと思います。

 尼崎事故と分割・民営化

 今回の事故と分割・民営化の関係について、流布されている見解にはいくつかの傾向が見られますが、突出しているのはJR西日本の井出相談役が述べている「分割・民営化政策が徹底していなかったのが原因」説でしょう。彼は朝日新聞とのインタビューで「国鉄末期の官僚体制や無責任体質が残っていた」と述べて、経営効率を追求しすぎた? 日勤教育が運転士のプレッシャーとなった? 過密なダイヤ編成? という記者の疑問をすべて否定しています。権力を背景に分割・民営化を強行した張本人として、政策の誤りを認めることができないのでしょうが、彼のような極論はさすがに他にはないようです。多数を占めているのは、分割・民営化政策については既定の事実として承認するか、もしくは全くふれないまま、JR西日本の企業体質を問題にする見解です。同じく朝日新聞が5月28日に組んだ特集の中で、桜井さんという方が「公益事業の民営化、自由化は、同時に監督権限が適時適切に行使されるのでなければ、いつか利用者が犠牲になる」と述べているのが代表(良心的な代表)ですが、事件について真剣な考察をせず、感情的なJR西日本攻撃を繰り返しているテレビのワイドショーなども大枠ではこの中に入るでしょう。そして、少数ながら、分割・民営化とその後の新自由主義的風潮の横行と事件とを結びつけて考えようとする人々(内橋克人氏のような)がいます。

 新自由主義の呪縛からの解放を

 駅で働いていると様々な人々と接しますが、その中には、個々バラバラにされて会社から日々圧力をかけられていることが察せられる、何かプリプリ・イライラしたサラリーマンがたくさんいます。「お客様第一」という、逆らうことのできない「錦の御旗」のもとに、常に頑張ること緊張することを強いられている人々が、互いに身を削りながら競争を強いられている今の日本社会を作ったのは誰か。確かに分割・民営化以前の国鉄労働者は横柄で、利用者をないがしろにするところがあったと思いますが、今よりはずいぶん余裕のある労働条件のもとで、「安全は輸送業務の最大の使命である」ではじまる安全綱領を唱和してから仕事についていたのです。本稿のはじめのほうで、「建前として安全の確保は言われている」と書きましたが、JR西日本大阪支社では目標の第一が「稼ぐ」で、安全は二番目に回されていたとの報道に接して、国鉄時代を知るものとしては信じられない思いがしました。私には、今回の悲惨な事件は、民営化は善、競争は善という理念のもとに、ひたすら走り続けてきた日本社会の矛盾が爆発したのだと思えます。航空産業でも巨大工場でも不気味な事故が発生し続けています。そろそろ、新自由主義の呪縛から解き放たれねばならないのではないでしょうか。競争を通じて達成される、貨幣に換算される利益ではなく、連帯をつうじて達成される社会的な利益を皆が享受できる社会のあり方を、そろそろ日本人は考えねばならない臨界点に来ていることを事件は教えている。国鉄の分割・民営化とは何だったのかを考えなおすことが必要だと思います。

 (付論)異線区間直通運転の問題点

 さて、少子高齢化の進行で交通手段を利用する人の総数は少しずつ減少していきますから、鉄道業は需要が確実に減っていくなだらかな斜陽産業です。鉄道各社は確実に減ってゆく需要を奪い合う形になっているわけですから、関西圏・首都圏を問わず、鉄道業者間の競争は激しくなっています。そんな中で、JRが編み出した手段が異線区間の直通運転です。JR西日本で今回事故をおこした列車は、次に停車する尼崎駅を介して福知山線から東西線、片町線への直通運転でした。神戸方面から大阪、京都方面に行く東海道線も走っていますから尼崎駅は4つの路線(福知山線、東西線、東海道線、山陽線)を走る列車が一つの駅に乗り入れる交差点のような駅です。異線区間の直通運転はダイヤが正常なときはいいのですが、たとえば福知山線の列車が遅れると東海道線の列車が遅れる、その影響で、京都から、東海道線、環状線、阪和線と通っていく関空特急が遅れると環状線にも阪和線にも遅れが拡大するという、手の施しようのない状態になりかねない。実際、そうしたネットワーク全体が麻痺する事故を契機に、ダイヤ管理が厳しくなったという報道もあったはずです。4月8日から1週間、JR西日本は尼崎駅での遅れを運転手から秒単位で報告させていたそうですが、これでは、一方で玉突き的に遅れが拡大する複雑なダイヤを作っておきながら、定時運行を運転士への締め付けだけで確保しようとしていたと非難されても仕方がないでしょう。
 異線区間の直通運転で私鉄との競争に勝つというのは、JR西日本が先に取り入れた手法だと思いますが、JR東日本も首都圏でまったく同じ試みをしています。湘南新宿ラインと名付けられた埼京線には、現在、川越線、高崎線、東北線、東海道線、横須賀線の5線から列車が乗り入れている上にりんかい線という私鉄とも直通運転され、いったん一つの線で遅れが発生すると複雑なダイヤが災いしてどんどん遅れがまして行く構造も同じです。異線区間の直通運転は今後、他の線区への拡大が予定されているのですが、安全を損なう可能性がないかどうか、鉄道で働く者と利用者がともに監視していく必要があると思えます。