見晴らし荘のころ(「謡子追想」改題)

2004/08/01

 幻の大恋愛小説(ハハッ)がついに、全文インターネットで読めるようになりました。

 1986年、国鉄がJRにかわるとき、全国に1,400箇所の収容所があった。
 18,000人の労働組合員を閉じこめた現代の強制収容所=人材活用センターのことを私はけっして忘れない。

 「見晴らし荘のころ」は、最初、国鉄労働組合員で作る同人誌「作家集団」1995年5月号に掲載され、その後、1997年6月、教育史料出版会から「謡子追想」(人は愛と闘いに生きられるか)というタイトルで出版されました。今回、全文をインターネット版として公開するに際して、再びタイトルを、当初のものに戻しました。

 私が「見晴らし荘」に暮らしていたのは1985年から1987年にかけての2年弱です。あの時からもう20年ちかくたつのですが、あの時、全国の国鉄の職場で起きていたことを世の中に伝えたいという感情は少しもなくなりません。今回、全文をインターネットで公開することを快く承諾していただいた、教育史料出版会に心からお礼を申し上げます。

---- 瀬戸内寂聴さんから寄せられた推薦の辞 ----

 多田謠子さんは、私の敬愛する哲学者多田道太郎氏のたった一人の娘さんだった。彼女が不慮の死をとげた後、私は道太郎夫妻も自殺されるのではないかと、とても心配だった。お二人はその後も最愛の娘の権力との闘いの跡を、時の砂漠に流されないようにと、辛い気持ちを押さえて、尚も生き続けている。謠子さんの伝えたかったことをこの末世の世に伝えようとして。
 この書は謠子さんが最後の一年を共に暮らした恋人久下格さんの、謠子さんへの哀切な挽歌である。ご両親も知らなかった謠子さんの発病から死への証言である。どう死んだかということを書くことは、彼女がどう生きたかを書くことであった。
 私たちはこの書でまた一歩、謠子さんの魂に近づくことが出来た。
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