勝利した者の書く歴史の裏側に

(2005/03/14) 

 「歴史は勝利した者の手で書かれるから…」。2004年にNHKのBS1で放送された番組の中で、アメリカ軍機によって同僚を殺されたアルジャジーラの記者が、静かな口調で言った言葉がずっと心に残っています。

 バクダット攻略戦さなかの2003年4月8日、アメリカは2つの報道拠点を同時に攻撃して記者を殺害しています。一つは中東カタールのテレビ局アルジャジーラ、もう一つは各国の報道機関の拠点となっていたパレスチナホテル。アルジャジーラのイラク支局には戦闘機からミサイルが撃ち込まれ、パレスチナホテルには戦車から砲弾が発射されました。いずれも、アメリカ軍の一方的な宣伝報道に与することを拒否して、自立した報道姿勢を貫いてきた人々のいた場所でした。アルジャジーラの例では、マイクを握って放送を続ける記者の背後上空から、アメリカ軍機が一直線に突入してきた次の瞬間、ミサイルが轟音とともに破裂する映像が、また、パレスチナホテルの例では、戦車が砲塔をぐるりとホテルの方へ向けた次の瞬間、砲弾がジャーナリストたちの部屋を破壊する映像が残されています。冷静にその映像を見れば、攻撃が意図的であったことは明白だと思うのですが、直後に各国の報道関係者たちの抗議はあったものの、アメリカは、偶発的なものだという弁明を押し通し、事実はうやむやになってしまいました。
 また、占領に反対した町ファルージャへの総攻撃の過程では、アメリカ軍はファルージャ近郊の病院を攻撃して占領しています。その病院は、負傷したたくさんの一般市民の命を救うための砦であり、また、一般市民に対するアメリカ軍の残虐行為を外部に伝える窓の役割も果たしていたのですが、世界に向けて開かれた窓は破壊され、ファルージャで何が起きているのか、私たちはその後ますます見えなくなってしまいました。アメリカは「病院がテロリストの拠点になっていたからだ」と言っていますが、私には違う意図があったとしか思えません。

 戦時国際法というものがあって、戦争の仕方について規制をしているのだそうです。私には、戦争自体が最大の違法行為・無法行為だとしか思えないのですが、とにかく、戦争について国際的ルールがある。それによれば、報道機関に対する攻撃も、病院に対する攻撃ももちろん違法です。それなのに、アメリカが、戦時国際法を無視して非武装の報道関係者や病院に対する攻撃を行ったのはなぜか。彼らは戦争のプロですから、国際法違反だという非難が起きることを十分承知したうえで、起きるであろう非難と、攻撃をしなかったときに彼らがこうむる不利益を天秤にかけて、非難を承知で無法な振る舞いを行い人の命を奪ったのだと、私には思えます。
 ファルージャからは、子供を含む一般市民が、殺されたり傷ついたりしていることを伝える映像が世界中に伝えられていました。アルジャジーラは、ファルージャを含めて、アメリカ軍の攻撃で破壊された街、殺されたり傷ついたりした市民の映像を配信してきましたが、それがアメリカには耐えられなかった。今回の戦争で、アメリカは各国の報道陣に対して、自軍とともに自軍の一部として行動することを求めました。戦争に対する報道をアメリカの統制下でアメリカの許す範囲に限ろうとしたわけです。そして、アメリカとって、アルジャジーラなど統制下にない報道機関が戦争の別の姿を伝えることは、戦時国際法違反の非難を覚悟してまで阻止せねばならないことだった。
 こうしたことは、アメリカの言う「自由」、アメリカの言う「民主主義」の正体が何であるのか、それがどのような土台の上にのった虚構であるのかを教えてくれます。少なくとも、しっかり目を開けて、自分の頭で考えようとするならば。
 しかし、一方ではこうも言えます。独立した報道を暴力で抹殺し、アメリカにとって都合のよい宣伝だけが流れるようにすれば、報道機関や病院への攻撃といったあからさまな戦争犯罪すらうやむやにし、戦争を平和、虐殺を解放と言い換えて押し通すことさえできるのだと。(チョムスキーは「メディア・コントロール」という小さな本の中で、「報道と教育を統制すれば人々の世界観を支配できる」という意味のことを書いています。)

 「歴史は勝利した者の手で書かれるから…」。アルジャジーラの記者は静かに、悔しそうに話しました。彼は殺された同僚のことを思えば、本当は声を限りに虐殺者アメリカを非難したかったのではないでしょうか。しかし、勝利した者の力によって統制された世界の中では、そう語るのがやっとだったのではないか。彼が声を限りにアメリカを非難したとしたら、その映像はどの時点かで抹殺されてしまい、放送されることはなく、私たちに届かなかったでしょう。
 「歴史は…」という言葉は誰が最初に言い出したのか? 不勉強な私は知りませんが、初めて聞く言葉ではありません。しかし、今回、アルジャジーラの記者の口から出たその言葉は、私に「世界のありよう」について再度考えさせました。私たちが教えられてきた「勝利した者の手で書かれた歴史」の裏側には、「敗北した者」、「平定された者」たちの書かれなかった歴史、抹殺されてしまった歴史がどれほどたかく堆積しているのでしょうか?

 ファルージャは約35万人が住む町だったそうです。その町を包囲したアメリカ軍は破壊の限りをつくしました。今も包囲は続き、ほとんどの市民は生まれ育った街に帰ることができません。
「イラクは以前より自由になった」
「選挙の実施は、イラクの自由と民主主義の偉大な前進だ」
 得々として語るブッシュの言葉を、かけがえのない家族や友人を殺されたうえに、瓦礫と化したふるさとに帰ることすら拒否され続けている、生き残ったファルージャ市民たちはどう聞いているのでしょうか?
 イラク戦争の中で殺されたイラク人はすでに10万人を超えているという推計もあります(ファルージャで死んだ人の数は含まれていません)。10万人の一人一人に家族があり、人生があり、日々の生活があったことは、もし、この先、イラク人が敗北し、平定されてしまえば、歴史の中から抹殺されてしまうでしょう。

 しかし、イラク人は今まだ、敗北もしていませんし、平定されもしていません。イラク人は、支配的な地位から排除されたスンニ派地域を中心に、アメリカの占領に対する悲惨な抵抗を続けています。アメリカ軍に対する直接的攻撃に加えて、アメリカ軍に協力していると見なされたイラク人も、自爆攻撃を含む容赦ない攻撃によって多数が命を落としています。こうした抵抗のあり方、方法を非難することは難しくありません。しかし、はっきりしていることは、暴力による抵抗がなくなってしまえば、世界はイラクのことを忘れてしまうだろうということです。

 今、私たちは、勝利した者の手で創作される歴史に身をゆだねることを拒否すること、その裏側にあるものを想像することが必要ではないでしょうか。そうした想像力を一人一人が養い、そしてそれが力に転化することこそが、戦争と暴力のない世界への第一歩になると思います。


 補足

(2005/03/22) 

 上の短い文章、じつはなかなか書き終わらず、途中で放っておいた間に、イラク人武装勢力に拘束されていたイタリア人記者が交渉の末に解放され、バクダット空港に向かう途中、乗っていた車がアメリカ軍に銃撃され、同乗していたイタリア情報機関員が殺され、解放された女性記者も負傷するという事件が起きました。(2005/03/04)
 例によってアメリカ軍は「誤射」だと言い張り、「警告を無視して検問所にスピードを落とさず近づいてきた車を撃った」と説明していますが、危うく死をまぬがれた女性記者は「検問所ではなく、普通の道路を通常の速度で走っているところを無警告で撃たれた」と、アメリカの説明を真っ向から否定しています。私は、本文でふれた例をはじめ、これまでの数々の例から見て、「武装勢力と交渉して人質を解放する」というイタリア政府のやり方を嫌い、またそれ以上に、イラク戦争反対の立場から自立した報道を続けてきた女性記者を許せなかったアメリカ軍による、意識的な銃撃ではなかったかと深く疑っています。
 百歩ゆずって、誤射か意識した攻撃かを棚に上げたとしても、軍から自立した立場で戦争を報道しようとしてきた報道関係者がアメリカ軍によって攻撃されるという、たくさんの例に、また一つの例が付け加えられたことだけは否定しようのない事実です。
 「報道の自由は民主主義の基礎」であることは、戦後、アメリカが日本に教えた民主主義のイロハではなかったか? 自立した報道とアメリカ軍の関係について、これからも慎重に追跡していこうと思います。