映画「風立ちぬ」と私たちの現在

2013/09/03

(いわゆる「ネタばれ」の記述があります。映画をごらんになる予定の方は、後回しにした方がいいかも…。)

「風立ちぬ、いざ生きめやも」

「風立ちぬ、いざ生きめやも」
 難しい言葉ですね。堀辰雄が代表作「風立ちぬ」の中でポール・ヴァレリーというフランス人の詩の一節を訳した言葉です。「風が吹いてきた。そうだ、生きよう。」とでも言い換えられるのでしょうか?
 風が吹くことと、人が「生きよう」とすることに関係はありませんね。けれども人は、たとえば不意に背後から風が吹いて頬をなでていく感覚を覚えた後に、「生きていこう」という気持ちがふっと沸いてきたりする、そういう生き物でしょう。風が頬をなでることは「生きる」ことの根拠にはならない。そもそも生きることに根拠などないけれど、ただ「生きていこう」という気持ちが沸いてくる。「生きる」ことはそういうことだと。「風立ちぬ、いざ生きめやも」という言葉はそう言っているのだと私は思います。

 宮崎駿監督の新作映画「風立ちぬ」は、戦争に向かって日本がひた走っていた時代。生きることが、誰にとっても戦争に向かう社会の趨勢とは無関係ではいられない、そうした時代が舞台です。「美しい飛行機を作りたい」という二郎少年の夢はひたすら美しい夢でしたが、成人した二郎が夢を実現しようとしたとき、それは、敵国米英を打ち負かすことのできる最新鋭の戦闘機を作ること以外にはなり得ませんでした。世の中全体が不況に沈んだ暗い世相の中で、二郎たちは自分たちの作る戦闘機にかかる金で、たくさんの子供たちが飢えを満たすことができるというような会話もします。軍人たちの、無意味でひたすら威張り散らすばかりの演説を、ただただ聞き流す、そうしたシーンも描かれています。「機関銃さえ外せば、要求された性能を達成できるんだが」と言って、若い同僚たちと笑い合うシーンも出てきます。しかし、基本的に、二郎は社会全体が戦争に向かう趨勢に抗うことなく、ただひたすら「美しい飛行機を作りたい」という夢を追い続けます。そして、それは、大日本帝国海軍の主力艦上戦闘機、ゼロ戦として結実します。
 映画の最後のシーン。二郎が夢の中で友情を結ぶイタリア人の航空機制作者カプローニとともに、無惨に焼けこげた無数のゼロ戦の残骸の折り重なった草原を歩くシーンがあります。「飛行機は美しい夢であり、また、殺戮と破壊の道具にもなる呪われた夢だ」と告げたカプローニの予言は的中していました。延々と続くゼロ戦の残骸。その中を行くカプローニと二郎。背景にはとてつもなく美しい音楽が流れて(ベートーベン? どなたか教えてください)、それが美しい夢のなれの果てだということを強調しています。
 残骸の山を指して、カプローニは「我々の夢の王国だ」と言い、二郎は「地獄かと思いました」と答えます。君の夢は実現したのかと問うカプローニに、「終わりはズタズタでした」「一機も戻ってきませんでした」と答えます。そこに、結核で死んだ二郎の妻、菜穂子がどこからともなく現れて「あなた、…生きて」と呼びかけ、そしてまた、どこかに消えてしまいます。

 美しい夢を持って生きたことが地獄のような結末を生むこともある。「生きる」ということはそういうことではないか。それでも「生きよう」、「生きていこう」というのが宮崎監督のメッセージでしょう。映画「風立ちぬ」のポスターには「生きねば!」というキャッチコピーが黒々と書かれています。

戦争を賛美しているという批判

 「風立ちぬ」は戦争を賛美する映画だという批判があることを、最近になって知りました。

 堀越が三菱に属し、海軍のために造りだした戦闘機がこのようなこと(重慶への無差別爆撃 ※引用者注)を担ったことについて、映画「風立ちぬ」では何か捉え返しがあるだろうか。
 無い、といわざるをえない。
http://d.hatena.ne.jp/kamiyakenkyujo/20130818/1376755046

 夢の飛行機をつくる人生もいいですが、戦闘機の美しさは戦場の現実と裏表の関係にある。宮崎駿が戦争を賛美しているとは思いませんが、戦争の現実を切り離して飛行機の美しさだけに惑溺(わくでき)する姿には、還暦を迎えてもプラ模型を手放せない男のように子どもっぽい印象が残ります。
http://mainichi.jp/opinion/news/20130722org00m200999000c.html

 私の母は、東京大空襲の被災者である。戦闘機に追われ、機銃掃射を受け、あと30センチ横にずれていたら母は死んでいた。そして、母と一緒に逃げ惑った母の友人は機銃掃射の弾丸に打ち抜かれ亡くなった。もし母が死んでいたら、私は生まれてこなかったのだ。
どう妥協しても、私は戦闘機を設計した人間を、たとえ国が違えども許すわけにはいかない。
http://www.labornetjp.org/news/2013/0727eiga

 上映が予定されている韓国でも批判する声が上がっています。

「(『風立ちぬ』を公開するのなら)米国の原爆開発者ロバート・オッペンハイマーを主役に、『爆弾裂けぬ』なんてアニメを作って封切りすればいい。それなら見ものだ」
「徹底的に自分たちを被害者として描く、戦争の惨禍は描いてもその原因には言及しない、典型的な日本国民用の自慰的映画だ」
「そもそもゼロ戦を開発した三菱重工業は、朝鮮人を徴用して働かせていた会社ではないか」
http://www.j-cast.com/2013/08/12181362.html?p=1

 批判には誤解もありますが、それぞれ根拠があり、起きるべくして起きた批判だと思います。堀越二郎は三菱重工でゼロ戦を設計した実在の人物であり、とりわけ侵略された諸国の人々から見れば、絶対に許せない人間の一人に数えられるかもしれません。そんな人物をなぜ宮崎駿監督は映画化したのでしょう。それは、宮崎監督自身が、少年のころからずっと、「美しい飛行機」へのあこがれを持ち続けてきたからでしょう。映画の中の堀越二郎は、実在の堀越と「風立ちぬ」を書いた堀辰雄の二人を下敷きにして創作されていますが、そこには宮崎駿監督自身も色濃く投影されています。
 宮崎作品には空を飛ぶシーンと美しい飛行物体がたくさん出てきます。宮崎監督は、たとえば目の前で「あなたは還暦を迎えてもプラ模型を手放せない男だ」と指摘されたら、嬉しそうに「そのとおりです」と言うと思います。宮崎駿監督にとって、実在の堀越二郎は客観的に批評できる他人ではなく、否応なく自分を投影してしまう存在だった。「美しい飛行機」にあこがれ、「美しい飛行機」を作る夢に存在全体を捉えられていた堀越がもしも自分だったら、社会全体が戦争に巻き込まれていくあの暗い時代をどう生きただろうか?
 人殺しの道具をつくることを決然と拒否して夢を投げ捨て、戦争に反対して生き抜く人物を描くことも可能だったと思います。もちろんそれは宮崎作品ではなく、別人の作った別の映画になりますが…。宮崎監督はあえて、社会の趨勢に抗わず、与えられた社会状況のなかで「美しい飛行機」という夢を追い続けた人物を描いた。そして、美しい夢はおびただしい人々の死の折り重なる残骸の山となりはてたのです。
 堀越は所詮エリートであり、戦場で死んだ下層の人々とは違うという批判も当然あると思います。美しいものに魂を奪われ、美しい飛行機を作ることだけに心奪われた夫から、看病されることもなく一人で死んだ妻に「生きて」と言われる。そんな都合のいい話はないという批判も当然あると思います。

堀越二郎と私たち

 しかし、私は、映画の中の堀越二郎は、宮崎駿監督にとってそうであったように、私たちにとっても、決して他人ではあり得ないと思うのです。

 「戦争放棄」を定めた憲法9条を改定しようとする動きが加速しています。衆議院選挙と参議院選挙をへて、憲法9条の改定は現実の問題となりつつあります。軍服を着て戦車に乗って見せた男が首相となり、自民党の改憲案は自衛隊の国防軍化を打ち出しています。コリアンタウンでは「朝鮮人を殺せ」と公然と言い放つ人々のデモ行進が行われています。沖縄では米軍基地の縮小を求めて島ぐるみの闘いが起きていますが、墜落事故の原因も明らかにならない中でヘリコプターの飛行を再開したアメリカに、日本政府はなすすべもなく同調し、新型輸送機オスプレイの配備強行に対して、沖縄の人々の怒りは頂点に達しているのに、それに連帯する本土の闘いは遅々として拡大しないように思えます。
 私たちは、こうした社会状況の外で生きることはできません。そして人は生きるとき、夢を抱えずに生ていくことはできないのです。それが、どんなにささやかであっても、「美しい飛行機をつくる」という大きな夢ではないとしても。
 「戦争放棄」を国是としてきたはずの国で、「戦争のできる国」をめざす動きが加速している。私たちは否応なくその国の中で、それぞれがそれぞれの夢を抱えながら生きることを余儀なくされているのです。

 宮崎駿監督は時代の状況を常に考え抜き、その時代の状況の中から作品を生み出してきました。自分の意見を一方的に主張するのではなく、時代の趨勢、時代を動かしている様々な要素のベクトルの中に分け入り、時代の趨勢の中に希望へのベクトルを見いだし、その希望を励ますようなやり方で作品を作ってきました。初期の代表作「風の谷のナウシカ」がそうです。月刊誌アニメージュで「風の谷のナウシカ」の連載が始まった1982年、世界中で巻き起こったベトナム反戦闘争の記憶はまだ風化していませんでした。高橋源一郎氏の解説を聞くまでもなく、風の谷を襲う凶暴な帝国トルメキアはアメリカの隠喩であり、戦争と核のない世界への希望が、今よりずっとたくさんの人々の心を捉えていた時代背景の中から、平和への希望を象徴するかたちでナウシカの闘いが描かれました。原作をもとに作られた映画「風の谷のナウシカ」は今思い返しても美しい作品です。
 「風の谷のナウシカ」を世に問うた宮崎駿監督が、30年たって「風立ちぬ」を作ったことの意味を考えねばならないと思います。少なくとも宮崎監督の脳裏に浮かぶ時代の趨勢の中では、平和を希求する人々の希望の声はずっとずっと小さくなってしまった。そんな中で、時代状況の中に沈潜しながら希望を作品にすることは「ナウシカ」の時代に比べてずいぶん困難だったと思います。そして、宮崎監督はどんな状況の中でも「生きろ」ということを主題とする物語をつくった。ただ頬をなでていく風に励まされるように、「生きねば!」

 二郎が生きた時代もいろんな出来事があったが、それでも人は生きてきた。地震はあるし、原発もなくならないし、その中でどうやって生きるかが、今自分たちに問われていることだ。だが、がっかりすることはないと僕は思う。人を好きになって、しっかりご飯を食べて、子供を大事にして生きていけばいい。
http://www.sankeibiz.jp/express/news/130715/exf13071500300000-n3.htm

「生きようとする力」は信頼に足るか?

 どん詰まりの世相の中で、明るい未来を希求する人々の声は聞こえず、悪化する状況の中で、方向も歩調も、何の限定もなく、ただ「生きよう」とする人々の営みに依拠しよう。たとえいかなる根拠すらないとしても、生きようとする人々の夢、人々の人生が消えてしまわないかぎり、どん詰まりに見える状況もやがて克服されていくだろう。「風立ちぬ」はそう言っているように思います。
 宮崎駿監督はアジテーターではありませんから、「こう生きよう」「こちらに向かえ」とは言いません。ただ、「生きようとする力」を肯定するだけです。人間の生きようとする力の中には、根元的に「平和に生きる」、「連帯して生きる」という力が内包されているという考え方、人間の生を肯定的に捉える考え方は、すべての宮崎作品に一貫しています。「風立ちぬ」もそうだと思います。

 私達の主人公二郎が飛行機設計にたずさわった時代は、日本帝国が破滅にむかってつき進み、ついに崩壊する過程であった。しかし、この映画は戦争を糾弾しようというものではない。ゼロ戦の優秀さで日本の若者を鼓舞しようというものでもない。本当は民間機を作りたかったなどとかばう心算もない。
http://kazetachinu.jp/message.html

 しかし、こうした「捨て身」の描写の中から戦争に抗う力が生まれてくると、宮崎監督は信じているのではないでしょうか。戦争の善悪を指摘する描写を封印した「風立ちぬ」は、「戦争のできる国」に向かってひた走る現在の日本社会に対応しています。そして、「戦争のできる国」に抗う人々の闘いのベクトルが、たとえ今は失われてしまったように見えるとしても、人々の「生きよう」とする営みが続く限り、それはいつか、平和と平安をもとめる人々の声となって復活するのだと、宮崎監督は信じている、または「信じたい」からこそ、「風立ちぬ」を作ったのだと思います。私は、「風立ちぬ」は、そういう意味で、ぎりぎりのところで戦争を批判する映画たり得ていると思います。そしてそれは、ぎりぎりのところで憲法9条の改定を阻止している、日本民衆の現在に対応していると思うのです。