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【2014/11 表紙】【2014/11 表紙】環状7号線をまたぎ、中馬込と北馬込を結ぶ「志ん馬込橋」。写真奥に国道1号線、新幹線が走る。欄干を彩る「洗足池」(巴水作)の陶板。

【2014/10 表紙】呑川下流で西糀谷と北糀谷を結ぶ八幡橋。写真奥手(北)に子安神社がある。橋の中央(手前左)に呑川開発の由来を記す説明書きと銘板がある。

【2014/09 表紙】羽田空港に架かる「弁天橋」。欄干には大森海岸から羽田沖の周辺で盛んであった海苔漁業の作業風景が四枚のレリーフで飾られている。

【2014/08 表紙】後方は多摩川河口の大師橋。石碑は「羽田の渡し」の顕彰碑。
 多摩川の河口に架かる大師橋の建設前には「羽田の渡し」が活躍した。対岸の川崎大師との間を両村民の生活の足として利用され、1939年(昭14)に鉄橋が開通してその役割を終えた。2007年に橋は更新され、今は2代目。碑の脇に旧橋の親柱が保存されている。(2014/07撮影)

【2014/07 表紙】 環状8号線で羽田空港にかかる「穴守橋」
欄干主柱には三角翼のミニ機。欄干には日本と世界の有名飛行機のレリーフが多数。羽田空港へのアクセス道路に架かる橋は4本ある。穴守橋はそのうち最も広く、交通量も多い。近年の空港整備・拡張にあわせ、橋の拡幅が行われ、写真のような欄干の装飾が施された(2014年5月撮影)

【2014/06 表紙】 大田区を東西に横断している呑川にかかる橋の一つ、「あやめ橋」。JR蒲田駅より京急線への中間にかかる。JR蒲田駅を背にしてこの橋の左手には蒲田小学校がある。ここには明治から大正にかけ、1万坪もの菖蒲園があった。橋の名はそこに由来し、欄干には写真のようなレリーフがあしらわれている。
近辺は江戸時代から東の堀切菖蒲園と並ぶ「あやめ」の名所で、遠方からも客が訪れていたという。(2014年5月撮影)

【2014/05 表紙】 国道1号線、多摩川に架かる多摩川大橋は1949年(昭和24年)に完成。それまでは矢口の渡しとして、大田区最後の渡し船が稼働していた。
写真は多摩川大橋の大田区側欄干に設置されている「クスノキ」「ウメ」の2種の意匠版の一つ。(2014/04撮影)

【2014/04 表紙】 都営地下鉄・西馬込駅前にある三寸人参碑
大田区西馬込2丁目 (2013年12月撮影)

【2014/03 表紙】 わが国最初のエレベーター専門工場誕生の碑
 大田区仲六郷1−6 (2013年7月撮影)  

【2014/02 表紙】 糀谷浦海苔漁業発祥之地碑 (2014/1撮影)

 大田区東糀谷5丁目の北前堀公園内にある海苔漁業発祥を示す人工材の碑。
 江戸時代から大森村、羽田村にかかる一帯で養殖海苔漁業がひろく営まれていた。建立年月は不明。

 【2014/01 表紙】松竹映画発祥の地碑 (2013/11撮影) 

 かつて松竹キネマ・蒲田撮影所のあった大田区蒲田5丁目37付近
 (現アプリコ内に松竹橋石柱・同屋外には模造碑がある)

 【2013/10 表紙】 石井鐵工所社屋と解体中の旧工場 (2013/09撮影)