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ずっと地べたを歩いて生きてきた

 3月18日は国労東京地本新橋支部の2016春闘統一行動の最終日。支部組合員700人のうち200人以上が参加して銀座をデモ行進しました。
 例年、この日が国労新橋支部の春闘でもっとも集中した一日です。

 私が国鉄に入った1974年当時、国労新橋支部は1万人以上を組織する国労の中核。戦後の混乱期から分割民営化で大打撃を受けるまで、日本労働運動の牽引車であったといってもいい存在でした。しかし、今や700人強まで減少した国労新橋は平均年齢も50歳をはるかに超えて、デモの隊列を後ろから見ると、見事に禿げた頭が並んでいます。

 実は、今年の統一行動日は私にとって忘れられない日になりました。それは、60才で定年退職した後、再雇用された東京駅新幹線乗換口の仕事も辞めて郷里に帰ることになり、前日が最後の日勤だったからです。
 3月17日が鉄道員としての最後の仕事。3月18日は国鉄労働組合員として参加する最後のデモ行進でした。私は、車道から見る銀座の風景も見納めだなあなどと、密かな感慨に耽りながら銀座通りをあるいていました。

 42年間、私は数えきれないほどの回数、デモ行進で車道からのビル街の風景を見てきました。本誌読者の皆さんならご存知だと思いますが、車道から見る風景は歩道からの日常の風景とは微妙に違います。普段と違う角度で見上げると、ビルの群はデモ行進の隊列とは少し疎遠な雰囲気を漂わせており、私にはいつもよそよそしい感じがしました。そうしたビル街の空間を微妙に震わせながら、デモの隊列はビル街の風景の中を突っ切っていくのです。

 私はデモ行進の最後尾を歩きながら、40年以上ずっと俺は、地べたを歩き、地べたからビル街の風景を、いや東京の風景を見て生きてきたのだなと考えていました。
 私には職場に国労の仲間がおり、長く暮らした大田区にも、これを読んでくださっている皆さんをはじめとした仲間がいました。しかし、デモの隊列からみるビルの群と私の間にあったよそよそしさが示しているように、私はずっと、東京の街とは異質な者として暮らし続けて年をとり、異質な者のままで郷里に帰ることになったのだと思います。

 今私は、退職して東京を去るにあたって、ずっと地べたを歩いて生きてきたからこそ、見えていたものを記録する作業を始めたいと思っています。おおたジャーナルの仲間の皆さん、長い間大変お世話になりました。ありがとうございます。

(久下格・元国鉄労働組合組合員)

 

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