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脳梗塞を患って

 半年前の6月18日、私は生まれて初めて東邦大学大森病院に入院した。検査の結果では脳に黒い影が映っているとのことで、写真を見せられたが違いが分からない。診断名は脳梗塞、症状としては観念性失行、失算、軽度運動性失語などの高次機能障害などであった。
 実はその数日前、道塚小学校の算数補修教室でのこと、私は子供たちの学習支援をしていたのだが、どっと疲れてしまった。計算の繰り上り、繰り下がりがわからなくなってしまったのである。さらに数量の単位もわからなくなってしまった。『えっ、1dlつて何mlだっけ?』という状態で教えようとしても浮かんでこない。
 パソコンで文章を書こうにもキーがわからない。打ち間違えてばかりいる。「発車」「出社」「コミュニケーション」など小さな『つ』や『や』、のばす音はどうするんだっけ? 4行か5行を打つのにも1時間以上かかった。「おおたジャーナル」の原稿締切が迫る。「平和のための戦争資料展」もこれからまとめなければならない。4年越しの中学教科書の採択も間近に迫っている。「戦争法」をごり押しする安倍首相の暴走を止めるために国会にも行かないと……。
 それからも会合に出ていたが、考えがまとまらない、人の名前を間違える。言葉が思うように出てこない、「あのう…」ばかりを言って次が出ない。心配した友人が「変だぞ!医者に行った方がいい」と勧めてくれた。私はかかりつけの町医者に紹介状を書いてもらい、その足で東邦大学へ行った。実は区の健康診断で血糖値と糖尿の疑いあり、ということで町医者に通い、今年の春から薬をもらって呑んでいた。
 検査の結果は即入院。あわてた。お金も着替えも何も用意して来ていないし、着の身着のままで仕事その他の段取りもつけていない。でも仕方がない、宣告は出されたのだ。入院宣告は出されたが、病院側では「今は2人部屋しか空いてない、保険が利かないが、いいか」と言われてしまった。「いいかといわれてもいやだとは言えない、やむを得ない」。差額ベッド代は一日8000円だという、早く6人部屋が空くことを願ってしぶしぶ了承。
 さて、次の日から採血、採尿、頭部CT、全脳MR、スペクト、点滴と検査が始まった。大学病院だから教授の後にぞろぞろ学生がついてくる。それさえ我慢すれば採血、採尿以外は初めてなので刺激的な毎日である。一通り検査が終わったところでリハビリが始まった。言語療法士からパソコン、ケータイなどの社会復帰のための操作方法やパズルのような問題をやらされた。以前できたことができないというのは大変な負担で、人とうまく話ができないとそれだけで落ち込んでしまいうつ状態になる。。
 月末には私は地代を納めたり、銀行に振り込みにと忙しい。事情を話して一時帰宅をさせてくれと頼んだら、あっさり退院させてくれた。ただしリハビリには通うようにという条件付きで。
 ようやく病院から解放された。「ストレスをためないように。若くはないんだから無理はしないで」と念押しされて。でも無理だよ、ストレスをためないなんて。安倍首相の顔をテレビで見ただけでむしずが走る…。

(多田鉄男・新蒲田在住)

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