11月15日(土)、大田九条の会主催の「紅葉の秋川と五日市憲法草案を訪ねるツアー」が行われた。当日は残り少ない秋の日を惜しむかのようなおだやかな陽気で、まさに小春日和という言葉にふさわしい一日だった。
蒲田駅東口に集まった参加者19人はマイクロバスに乗り込み、定刻の8時に五日市へと向かって出発した。五日市駅前に着いたのは10時前、西に向かうバスの車窓からは雪をかぶった富士山をはじめ、丹沢、津久井、奥多摩、秩父の山々の稜線がくっきりとスカイラインを画き、パノラマのように見渡すことができた。
豊富な予備知識
往きの車中では、参加者の簡単な自己紹介に次いで、元教師で六郷九条の会の高橋栄さんによる事前学習が行われた。高橋さんは学童疎開世代で、父の出身地である五日市(旧戸倉村)に縁故疎開し、2年間生活をしたという。当時の苦しくも懐かしい生活を思い出しながら、歌をまじえての民話のようなお話に聞く者の耳は釘付けとなった。また、五日市周辺の人々の暮らしや自由民権運動が生まれた背景についてのお話のおかげで、現地での説明をよりすんなりと理解することができた。
五日市駅前で現地ガイドをお願いしていた鈴木富雄さんに乗り込んでもらった。鈴木さんは元あきる野市議会議員で、あきる野九条の会でも活躍されている。五日市憲法についての造詣が深く『今、五日市憲法草案が輝く』という著書もあって、今日の参加者全員に一冊ずつ配られた。
記念碑と展示を前に
最初に案内していただいたのは五日市憲法草案記念碑であった。五日市憲法草案は全204条からなるが、その中からこの憲法草案の特徴を示す六か条が碑に刻まれている。国民の権利、地方自治独立、教育権などが明記されていて日本国憲法を先取りした民主憲法であることがわかる。記念碑はこの五日市のほかにも起草者千葉卓三郎の生地、志波姫(現宮城県栗原市)と墓所のある仙台市にあり、五日市憲法草案起草百年を記念して建立されたものだそうである。
そのあと近くの五日市郷土館に場所を移し、五日市憲法草案関係の展示物を見学した後、鈴木さんから起草者千葉卓三郎と憲法草案が発見された深澤家の結びつきや時代背景、民主的な社会と憲法を作ろうと、先端的な知識、学問に情熱を注いだ当時の若者たちの姿について詳しい説明を受けた。
山中の草案発見土蔵
正午に昼食をとり、午後からはいよいよ深澤家と向かう。マイクロバスは対向車とすれ違うのも困難な細い山道を登っていく。以前私が五日市駅から歩いて行ったときには一時間近くかかったが、さすがに車は速い。集落が途切れた辺りに真光寺というお寺があり、その奥に深澤家はあった。沢に架かる橋を渡り、名主だった深澤家の屋敷門をくぐって中に入るとハイライトの土蔵が待ち構えていた。1968年(昭和43)にこの土蔵から憲法草案が発見された当時はかなり傷んでいたが、その後修復されて今に残っている。
母屋は既に小金井の某会社に売却されて無く、小高い山腹を登るとまるで屋敷跡を見守るかのように深澤家の屋敷墓が並んでいる。庭土が荒れていたが、これはイノシシが出没して掘り返したものだという。
多摩川と大田と五日市
そのあとまた来た道を引き返し、阿伎留神社に向かった。平安時代にはもうあったという古社で、あきる野市の名前の由来ともなっている。ここにバスを置いて住宅の間の道をしばらく行くと、内山安兵衛の墓がある。深澤権八とともに五日市の民権運動の担い手となった人だが、キリスト教に帰依していて墓石にはブロンズの十字架が載っている。今はまわりの木々が生長して見えないが、秋川渓谷の河岸段丘を見下ろすように立っていて、その下流側は耶蘇淵と呼ばれたそうだ。
今は水量が少なくなってしまったが、かつてはこの近辺の山で切り倒した木材を筏に組んだそうで、3日から4日をかけて六郷(一部は羽田)の筏宿まで運んだという。川の上流と下流は流域文化圏を形成しており、五日市と大田は多摩川(秋川)を通してつながっていたのだ。
山間に民主主義の芽ぶき
今日のツアーの最後に、広徳寺という古刹を案内してもらった。禅宗独特の趣のある茅葺屋根の山門をくぐると二本の大銀杏が飛び込んで来た。高さ30メートルは下らないだろう、西日を浴びて鮮やかな黄色が目に染みる。その高さと美しさに圧倒されてしばらく言葉を失った。境内全域が都の指定史跡になっているそうで、広大な境内にはモリアオガエルが自生する池や、都の天然記念物になっているタラヨウやカヤの木がある。ここには泊まるところがあって、最初に書いた高橋さんは六郷の子どもたちを連れて何度か合宿に来たそうだ。
五日市駅前で現地ガイドをしていただいた鈴木さんとお別れし、帰路に就いた。道路は渋滞もあり蒲田に着いたのは5時半を回っていたが、現在の日本国憲法の人権尊重、民主主義の精神を先取りした憲法を作ろうとの理想に燃えて学んだ青年たちが、多摩の山間にいたことに感動した一日だった。
皇后発言に一筆
最後に、皇后が昨年10月20日の誕生日に宮内記者会の質問に回答したことに触れて筆置きたい。昨年1月、天皇とともに五日市郷土館を訪れて展示されている五日市憲法草案を見た皇后は、「この一年で印象に残った出来事は」との質問に五日市憲法に感銘を受けたことを次のように述べている。「…地域の小学校教員、地主や農民が、寄り合い、討議を重ねて書き上げた民間の憲法草案で、基本的人権の尊重や教育の自由の保障及び教育を受ける義務、法の下の平等、更に言論の自由、信教の自由など、204条が書かれており、地方自治権などについても記されています。…近代日本の黎明期に生きた人々の政治参加への強い意欲や、自国の未来にかけた熱い願いに触れ、強い感銘を覚えたことでした。…世界でも珍しい文化遺産ではないかと思います…」。
時まさに国会で特定秘密法案や集団的自衛権をめぐる憲法解釈論議が始まっていたころである。政治に口出ししてはいけないことになっている天皇や皇后にとっては、止むにやまれず安倍政権の暴走にギリギリの選択で警鐘を鳴らしたということだろう。
(多田鉄男・大田区在住)