ホーム > 2014/10 > 民衆の息吹
今月号の本紙に折り込んだチラシのうちの2種類について説明させていただきたいと思います。いずれも秋にふさわしい催しですからご参加ください。 @「五日市憲法草案を訪ねるツアー」 今から半世紀近く前の1968年、自由民権運動の中心地であった東京の西のはずれ、五日市(現あきる野市)の豪農、深沢家の土蔵から370冊もの書籍、書類が発見されました。その中にぼろぼろの風呂敷包みがあり、開けたところ明治14年、千葉卓三郎起草の憲法草案が出てきました。発見された憲法草案には現在の日本国憲法の基本である「国民主権」「基本的人権」「平等権」「自由権」「地方自治」などの考えがはっきりと書かれていました。明治14年(1881)と言えば今から130年以上も前のことです。なぜこの時期にこのように民主的な憲法草案が生まれたのでしょうか? A区民による区民のための連携講座 「探ってみよう六郷用水」 六郷用水は400年以上も前に開削され、大田区の低地平野部を豊かな田園地帯に変貌させた灌漑用水です。100年近く前から始まった大田区の都市化によって、用水は役割を終え暗渠化、埋め立てが行われ、今ではもう沼部地区にある復元水路をのぞいて実際に用水を見ることはできませんが、それでも注意深く町中を歩いているとあちらこちらでその面影をしのぶことができます。 (新蒲田在住 多田鉄男)この秋、今に流れる民衆の息吹を確かめよう
時代が江戸から明治と変わっても農民の暮らしは楽にはなりませんでした。年貢に変わってお金で納めることになった「地租」、武士が担っていた兵役を庶民が担う「徴兵制」、学校制度が始まったための「教育費」など3つの負担が重くのしかかってきました。また、薩摩藩と長州藩中心の藩閥政治に不満を持った元武士の反乱なども起こります。しかし西南戦争で政府軍が勝つと、武力に代わって言論による自由民権運動が広がっていきます。国会の開設を要求するこの運動は全国に広がり、それに押されて1881年、政府は10年後の1890年に国会を開くと約束せざるを得ませんでした。そして国会の開設決定に合わせて各地で民間の憲法草案(私擬憲法案)が作られました。
その一つ「五日市憲法草案」は、全204条からなっていて、「法の前ではみんな平等である」「日本国民はめいめいが権利や自由を持ち、国の法律は一人ひとりの権利や自由を保護しなければいけない」と謳っています。明治政府が作った悪名高い大日本帝国憲法(1889年発布)では国民を「臣民」と書き、権利や自由を極力制限しようとしているのに対し、五日市憲法草案では「日本国民」と書くなど民主主義の精神に充ち溢れています。
現在の政府も今の日本国憲法はGHQの「押しつけ」だという口実で改憲を狙っています。しかし、130年以上も前に実現させようとした民主主義の精神が、明治政府の弾圧によって一旦表面から姿を消してしまいますが、地下水脈となって流れ続け、現在の日本国憲法の中に生かされていることを誇りたいものです。是非現地訪問ツアーに参加し、五日市憲法草案の持つ意味を再確認してみてはいかがでしょうか。
六郷用水の歴史と変遷については本紙でも何度か掲載していますから詳細は省略します。3年前(2011年)には竣工400年を記念して区民大学の講座を開催しましたが、大変好評でした。今回はその第2弾という形で講座を開催します。5週連続での座学のほかに現地歩きのフィールドワークもあります。みなさんも六郷用水を通して大田の400年の近現代史を俯瞰してみませんか。