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@日本政府は戦争をしたくはなかった。戦争の責任は抵抗した中国側にもある。 「政府は財政支出を増やして経済を刺激するとともに、輸出を増やす努力を重ね、恐慌からいち早くぬけ出すことに成功」(「昭和の恐慌」) 〜満州事変の時期を底に、輸出入や物価指数が上向きになったグラフを載せ、説明はこれだけです。グラフと合わせると「政府は、戦争によって恐慌からぬけ出すことに成功」とも読めます。 「中国では、・・・排日運動が強化されました。排日運動の激化に対し、日本国内では日本軍による満州権益確保への期待が高まりました」(「満州事変のおこり」) 〜排日運動が、日本を戦争へと向かわせたように読めます。 「満州国は、実質的には日本が支配する国でしたが、中国本土や朝鮮などから多くの人々が流入し、産業が急速に発展しました」(「満州国の発展」) 〜産業統計上で大きく伸びたのは事実ですが、中国本土や朝鮮から多くの人々が流入する背景には、植民地支配による貧困問題もあります。満州国が、海外進出の成功モデルのようにも読みとれます。何よりも、それが人々を幸福にしたかどうかが問われるべきです。 「・・・北京郊外の盧溝橋付近で日本軍は何者かに銃撃を加えられ、中国側と撃ち合い・・・日本政府は不拡大方針をとる一方で、兵力の増強を決定・・・日本軍将校殺害事件をきっかけに上海にも戦闘が拡大しました。ここにいたって日本政府は不拡大方針を撤回・・・全面戦争に突入・・・首都南京を占領しましたが、蒋介石は奥地の重慶に首都を移し、徹底抗戦を続けたため、長期戦に突入しました。・・・日本軍も、米ソの援助を得ていた蒋介石も、強硬な姿勢を崩さず、和平にはいたりませんでした」(「日中戦争(支那事変)」) 〜「支那事変」の名にこだわる歴史観で、対等平等の外交は成り立つのでしょうか?日本政府は戦争不拡大方針だったが・・・戦争の拡大と長期化は、相手側と日本軍に責任があるように読めます。日本軍が政府と違う方針で動いたならば、そのような日本の政治の仕組みや社会のあり方に目を向けるべきです。 「この(南京を占領した)とき、日本軍によって、中国の軍民に多数の死傷者が出た。(南京事件)この事件の犠牲者数などの実態については、さまざまな見解があり、今日でも論争が続いている」(同上の側注) 〜旧軍関係者も南京占領後に3万人を殺したことを認めています。それは虐殺ではないのでしょうか?3万か30万かの論争よりも、虐殺と呼ぶか呼ばないかが歴史認識の争点のはずです。 A戦争はアジア解放の大東亜戦争だ。国民は自ら進んで協力してよく戦った。 「戦争初期のわが国の勝利は、東南アジアやインドの人々に独立の希望をあたえました。・・・イギリス軍として戦ったインド兵の多くは、捕虜となった後、インド国民軍に加わり、独立をめざして日本軍と行動・・・ビルマ義勇軍がつくられ、日本軍に協力・・・インドネシアでも義勇軍ができ、日本軍の指導で軍事訓練が行われました。・・・ (大東亜)会議以降、欧米による植民地支配からアジアの国々を解放し、大東亜共栄圏を建設することが、戦争の表向きの目的として、より明確に掲げられるようになりました」(「日本軍の進出とアジア諸国」) 〜「表向きの目的」との一言はありますが、アジア解放の大東亜戦争と読めます。 「国民の多くはひたすら日本の勝利を願い、励まし合って苦しい生活に耐え続けました」(「国家総動員体制」) 〜国家総動員法などによってつくられた、戦争をする国日本に生きた国民を、このように国策に協力して我慢した国民とまとめられるのでしょうか? 「日本軍は沖縄県民とともに必死の防戦を展開・・・中学生や女学生の中には、この戦いに従軍して、命を落とす人も少なくありませんでした。米軍の猛攻で逃げ場を失い、集団自決する人もいました」(「空襲の被害と沖縄戦」) 〜県民・学生は、法律に基づく命令で動員され従軍しました。日本軍の沖縄作戦自体が本土防衛の準備の時間稼ぎための作戦でした。県民が逃げ場を失ったのは、米軍の猛攻が本当の理由なのでしょうか? B戦勝国は、日本をひどい目にあわせた。憲法を押し付け、一方的に死刑にした。 「満州・北朝鮮にいた約200万の人々は、ソ連軍の攻撃や略奪にあい、多くの犠牲者を生みました。また、ソ連は・・・約57万〜70万人をシベリアなどに連行し、長時間過酷な労働に従事させたため約6万人が死亡しました。」(「日本の敗戦」) 育鵬社教科書で歴史をまじめに勉強すると
〜大田区の中学生は次のように理解することになります。
「日本側は、大日本帝国憲法は近代立憲主義に基づいたものであり、部分的な修正で十分と考えました。しかし、GHQは日本側の修正案を拒否し、自ら全面的な改正案を作成すると、これを受け入れるよう日本側に強くせまりました。・・・議員はGHQの意向に反対の声を上げることができず、ほとんど無修正で採択」(「日本国憲法の制定」)
〜この文脈からは、「大日本帝国憲法の部分的な修正で十分なのに、GHQに押し付けられて日本国憲法が制定された。」と読めます。これは、日本政府の見解なのでしようか?
「捕虜虐待などの罪に問われた軍人なども・・・各地の裁判所で裁かれ、1000人を超える人々が、十分な弁護を受けることなく死刑に処せられました。このように東京裁判では、日本の政治家・軍人たちが戦争犯罪者として裁かれました。その一方で、米ソなどの戦勝国に対しては、当時の国際法から見て戦争犯罪とされるものでも、罪に問われることはありませんでした。・・・都市空襲では、多くの一般市民の命がうばわれ・・・ソ連軍の満州侵攻でも、・・・暴行や日本人捕虜のシベリアへの抑留によって・・・」(「東京裁判」)
〜どれも事実です。日本国民はずいぶんひどい目にあいました。戦勝国が罪に問われないのも受け入れがたいことです。しかし、1000人の死刑や多くの一般市民の命をここでこのように取り上げると、戦争指導者の責任はあいまいになります。戦争を中心になって指導した人たちと市民・兵士たちを、まとめてひとつの日本と考えて良いのでしょうか?
C素晴らしい『日本文明』のにない手になるぞ!
「日本は、他国からの大きな人口の流入もありませんでした。縄文時代の人々も、奈良時代や平安時代の人々も、私たちと血のつながるご先祖様ということができます。日本の歴史は、私たちのご先祖様の歩みなのです。・・・多様な外国の文化を受け入れても、日本は、文化の独自性を変えることはありませんでした。例えば仏教では、伝来したばかりのころ、その導入をめぐる対立がおこりましたが、聖徳太子はこれを積極的に取り入れました。・・・西洋の思想や技術も、日本語に翻訳して理解し、くふうを加えるなど「和魂洋才」とよばれる受容のしかたをしてきました。このように、東西の文化を積極的に取り入れて消化し、独自のものにしてきた結果、わが国は西洋文明とも中国文明ともちがう独自の『日本文明』をつくり出したのです。皆さんにはそういう目でもう一度、日本の歴史を振り返ってほしいと思います。そして、今後は、皆さん自身が、『日本文明』のにない手になるのだという思いをもって、勉強していってほしいと思います」(「歴史の旅の終わりに」(まとめ))
〜@〜Bのような歴史を描く理由はここにありました。日本は、古代から現在まで、ずっと文化の独自性を変えずにきた『日本文明』の国なのです。
自己陶酔の先に何が
南京事件などの日本軍の非行については、虐殺などの表現を避けて「客観的」に書きます。一方で、戦争末期の連合国の攻撃などによる日本国民の被害や戦犯裁判については読む者の感情に働きかけるような書き方をします。戦争の目的や評価に、当時の政府や軍による発表をそのまま無批判に持ち込みます。「わが国」「政府」「日本軍」と、場合によって使い分けます。戦犯裁判については、戦争をする国である日本を指導した大臣・司令官などの裁きと捕虜虐待などの罪に問われた一般軍人などの裁きが、同じような意味で不当であったかのようにまとめます。
多数の日本人とそれよりもはるかに多くの人々を殺し、さらに多くの人々に取り返しのつかない不幸をもたらした戦争を始めた指導者たちの責任はあいまいになります。また、そのように書いていくために、都合の悪いことには目を配らなかったこともあって、事実関係についても、重大な間違いがいくつもあります。ここでは詳しくはふれませんが、国民的常識として知っていることもたくさんあると思います。
その「まとめ」が『日本文明』です。原始から現代まで、教え込みたい歴史理解には都合の悪い事実からは目をそむけ、日本は独自の優れた歴史を持つ国だという思い込みにつながりそうなことを継ぎはぎして、『日本文明』として自己陶酔の物語を語ります。このような『愛国心』に酔わされてしまった若者たちは、どこに向かうことになるのでしょうか?
教師が選ばない非常識
日本の公立小・中学校の教科書は、全学年・全教科、数人の教育委員が多くても数回の会議で決めています。世界のほとんどの国では、教師や学校が教科書を選び行政がそれをそのまま受け入れて採択されています。検定制度が無く、出版社が登録すれば教科書として選ばれる対象となる国もあります。教師が教科書を選べず、教育委員会に参考資料を提出することでしか関われないのは日本くらいです。
50年ほど前までは、学校ごとに教師たちが真剣に研究し話し合って選んだ教科書を使うことができました。そのことは、学校と教師の教育力を高め、子ども達にも日本社会にとっても大きな資産でもありました。教育委員会が最終的に決めるよう制度が変わってからも、教師・学校からの多くの希望があった教科書が選ばれてきました。
ところが、近年になり、社会科などについて、多くの希望が寄せられているわけではない教科書を、教育委員の独自の判断で選ぶことが行われるようになりました。現在、大田区の中学生が使っている育鵬社の歴史と公民も、そのようにして、選ばれました。今年夏の大田区立小学校教科書の採択は、元教師・元PTA役員・弁護士・区の行政職出身者などの6人の大田区教育委員が、午後3時間ほどずつ計3回の会議で行いました。
私たちにできることは・・・関心を持ち意見を表明しましょう。
来年、2015年夏、大田区教育委員会で2016年から使う中学校教科書が決められます。
@教育・教科書について、あちこちで話題にして関心を広げましょう。
A来年6月に区内数か所でひらかれる教科書展示会に出かけて、アンケートに意見・感想を書きましょう。
B電話やメールなども使って、教育委員や教育委員会に意見を伝えましょう。
C教育委員会を傍聴しましょう。誰でもできます。
D資料を手に入れて、良い教科書が選ばれているのか?検討してみましょう。採択のときの教育委員の発言や区教委事務局が用意した資料が大田区HPに公開されています。
(公正な教科書採択を求める区民の会・志太誠治)