40年の職場を後に
JR各社では60才になる月の月末が定年退職の日となっており、私は7月末で定年退職します。1974年、19才で国鉄に就職してから、まる40年間働いたことになります。
「働く者の世の中が来る。働く者の世の中を作るために国鉄労働者になる。国労で闘う」という、今では考えられない「夢」、「幻想」としか言えないような動機で国鉄に入社した私が、まさか、円満に定年退職とは…(ハハッ)。信じられません。まだ高校生の息子が独り立ちするまで、もう少し働かねばならない私は、先日、定年後に再雇用されて働く駅に、少し早く転勤して働き始めています。
一瞬の感慨に驚き
いろいろ書くことはあるのですが、今はひとつだけ。国鉄分割・民営化反対闘争の敗北以降を長い老後のように、半ば諦念のなかで暮らし、働いてきたはずの私が、最後にマルス(指定券発売機)を操作する日に、最後にホームで旗を振る日に、これが最後の仕事だと思った瞬間に、一種、感動のような感情が湧き上がってきて、我ながらとまどい、驚いたことだけを書いておきます。ひょっとしたら私は、駅の仕事が好きだったのかもしれません。
57才のときに意に反した最後の転勤を強いられましたが、転勤前の職場でも、最後の職場でも、国労組合員はもちろん、大勢の若者たちとも仲良く、助け合って楽しく働くことができました。今は、大間違いの人生でもこんなに幸せに生きられるのだと、もしも神がいるなら神に感謝したい気持ちです。
もう少し仲間と一緒に
転勤を強いられた職場でも、最後の職場でも、職場を去る最後の挨拶で、皆が安心して働き続けられるよう、5年間で解雇という契約社員制度を見直して、5年働けば皆正社員とする制度を作ってほしいと述べました。安心して働ける世の中がますます遠ざかっていく状況のなかで、退職せざるを得ないことは残念でなりませんが、若い人たちには、自分たちの問題を解決するのは結局自分たち自身でしかない。皆で頑張っていい職場を作っていけとしか言えませんでした。
再雇用先の駅は、比喩ではなく「死ぬほど働かねばならない」厳しい職場です。私は私の体が壊されないよう、まず、新しい職場の労働環境を整えることからはじめて、もう少し、働き、そして仲間たちと一緒に闘い続けたいと思っています。
(久下格)