ホーム > バックナンバー > 2014/06 > 大田区からの被災地支援
■今までにない災害を前に
大田区では、東日本大震災発災後すぐに災害対策本部を立ち上げ、大田区被災地支援ボランティア調整センターの設置を決めました。そして、区と区民との協働によって今も被災地の支援と区内避難者の支援を行っています。
日本では、大きな自然災害が発生すると直ちに、災害ボランティアセンターが被災地に開設されます。その目的は、被災者からの復旧支援依頼とその支援のために駆けつけてくれたボランティアの調整にあります。しかし、被災直後は災害ボランティアセンターを設置する立場にある行政機関そのものが被災しているために、必ずしも順調なスタートになるとは限りません。そこで災害ボランティアセンターの設置を主に担っている社会福祉協議会の全国的な連携により他県市町からの応援が駆けつけて、その運営を補佐しています。
今回の大震災は、その規模において、またその被害においても今までの災害の延長線上にないものでした。そのため災害ボランティアセンターの立ち上げ、その後の生活復興支援センターへの切り替えにおいても多くの課題を私たちに提供してくれました。
災害ボランティアセンターは、地元や他の地域からのボランティアの受け入れ、ボランティア保険加入手続き、被災者からの作業依頼の受付、そして作業依頼先へのボランティアの調整、派遣など多くの業務を被災状況の中で行わなければなりません。そして、やがて避難所が閉鎖されると、災害ボランティアセンターの役目は終わり、生活復興支援センターへと引き継がれていきます。生活復興支援センターの主な仕事は仮設住宅住民の交流の場づくり、見守り等が中心になります。しかしながら、この時期でもまだ多くの被災者が自宅やその周辺の片づけに追われ、通常の生活とは程遠い中でボランティアの支援を求めています。また、住民の少なくなった地区では、公共用地ややむを得ない事情から居住者のいない土地の草刈りなどが必要で、在宅者の生活に支障をきたさないためにもボランティアの力に相変わらず頼らざるを得ない状況が続いています。
■ “在宅被災者”の出現
震災後しばらくの間は、被災者の多くはまだ避難所や親せき知人を頼っての生活がほとんどです。やがて、個人的に見つけたアパートや完成した仮設住宅に避難所から移っていきます。しかし、今回の震災では、想像以上の避難者の数から早期に避難所を離れ、自宅に戻っていく人が多くいました。しかしこれは決して自宅での生活が保障されたから戻ったわけではありません。被害から免れ、かろうじて眠ることのできる自宅2階に帰って行った人たちです。津波によって1階はすべて汚泥で埋め尽くされ、台所、風呂など最低限の生活機能さえ失われていました。これまでの地震被害などでは、一時的に非難し、その後自宅に戻る人の多くが、家の安全性が第三者によって確認され、ライフラインの復旧とともに元の生活に戻っていくものでした。しかし、今回の震災では自宅に戻っても生活はできず、また避難所を出たことによって食事の提供、物資の配給も受けられなくなった方が大勢いました。東日本大震災被災者の大きな特徴の一つがこの“在宅被災者”でした。
2011年夏、被災地の多くに仮設住宅が完成し、避難住民はそこに引っ越し、避難所が相次いで閉鎖されました。それと時を同じくして、災害ボランティアセンターが閉鎖。お盆休み明けには生活復興支援センターが新たにオープンしました。東松島市生活復興支援センターでは、本部の下に生活復興支援チームと復旧ニーズ対応チームを配置し、復興にあたっていました。しかしながら、復旧ニーズ対応チームが災害ボランティアセンター機能の縮小したものであったことは明らかで、これは相変わらず地域の復旧の進まない被災地において、新たに仮設住宅の訪問見守りなどの業務が増えたことのしわ寄せにほかなりません。幸いなことに東松島市では、市内で活動するボランティア団体を構成メンバーとする情報交換の場として東松島復興協議会が発足し、行政機関も一構成メンバーとして参加し、市内全体の被災者の支援格差の解消に努めてきました。特に国の支援のある仮設住宅住民と公的支援のほとんどない在宅被災者との間では、住民間の軋轢も発生していました。
■「忘れない」とは?
甚大な被害の伴う災害復興には、自治体の力では到底及ばない国の支援が不可欠です。その復興のためのお金の使い道が厳しく規定されていたものの一つが災害ボランティアセンターと生活復興支援センターだったように思われます。今回の東日本大震災で、在宅被災者という新たな被災者が生まれたように、これからの自然災害においてもどのような被災者の形が生まれてくるのかは不透明です。被災地の方が「災害に前例はない。すべてが初めての経験です」と言っていた言葉が印象的です。多くの津波災害を経験してきた三陸海岸地区の方々にとっても今回はやはり初めての経験だったはずです。このような経験を次に活かしてこその「忘れない」ことなのではないでしょうか。
復旧から復興へ。避難所から仮設住宅へ。それぞれに違いはあるのかもしれませんが、突然の自然災害から、住民の元の生活を一日も早く取り戻すことを考えるならば、災害ボランティアセンターと生活復興支援センター、それぞれの機能を併せ持ち、復興の状況に応じて、機能や予算配分を地域行政が独自に判断していくような新たなセンター「災害復興総合支援センター」(仮称)を被災と共に立ち上げ、行政機関とボランティア支援団体が復興の状況を見極めながら、復興が成し遂げられるその日まで一貫して運営していくことが、被災者にとって一番好ましいことではないでしょうか。
■6月から防災塾をはじめます
大田区被災地支援ボランティア調整センターは、いまだに支援を必要としている被災地にボランティア支援を続けながら、区民ボランティア参加者の経験を大田区の防災・減災に活かすために6月から特別出張所管内別に順次、防災学習のための防災塾を行っていきます。また、地区の自治会、マンション管理組合、社会教育登録団体、サークルなどからも要望があれば無料で防災学習会の支援を行っていますので、ぜひ利用してみてください。
小野紀之(大田区被災地支援ボランティア調整センター事務局長)