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連載:大田区からの被災地支援 これまでとこれから
第1回
原発事故被災地南相馬の移送支援事業「さっと」

= (1)現地調査の巻 =

 連載やります、と宣言してなかなか進まない記事依頼。そこで、しげの自身が関係している当事業の話を最初にすることにしました。「助成金を使って、南相馬で障害者の移送支援事業を、現地と大田区の障害福祉系NPOと区民活動系NPOの共同事業で運営してます」というのが概要ですが、なぜそんなことになったのか、という話を、まず、しましょう。

1.原発周辺地域の避難者が大田区にやってきた

 3.11の震災直後、大田区では津波等で家を流された人々の受け入れを想定して、避難者の受け入れを発災後1週間で準備しました。しかし実際には、宮城県や岩手県から東京への大規模な避難はなく、代わりに福島の原発周辺地域から、何次かの避難先を経て、東京の家族や親せきを頼った避難者が大田区にやってきました。この福島から大田区へ避難した方々についてのまとまった話は次回以降の連載で報告したいと考えていますが、この福島からの避難家族の中に、知的障害を持った娘さんと共に避難した家族がありました。

2.原発周辺地域で、障害者はどうなっているのか?調査に行くことにした

 当時、避難準備地域に指定された南相馬市には、避難の難しい多くの障害者が残されていました。どのような状態に置かれ、どのような支援が必要なのか、調査をするべきだ、という話が持ち上がりました。  そこで、この娘さんが通っていた、双葉郡浪江町にあった作業所「コーヒータイム」の理事長さんが、相馬市に避難していることを聞き、訪問し、南相馬の現地を案内していただくことになりました。

3.大田障害者連絡会の現地調査より(2011年5月15日〜16日)

5月15日

◎相馬市 橋本由利子さん宅

 地域生活支援研修会(5年前に立ち上げた福祉、医療関係者で作るネットワーク)のメンバー、橋本さん、小高赤坂の臨床心理士須藤康弘さんと、雲雀ヶ丘の看護師米倉一磨さんの話。

・NPO法人コーヒータイムは浪江町で精神障害者の就労支援、自立支援を行っていたが、地震翌日、とにかく逃げろと言われ、家族とともに各自が避難するが一時避難のつもりで避難したので何も持ち出せなかった。15名のメンバー、5名のスタッフは県内はもちろん東京・千葉・青森とばらばらとなる。浪江町には以後自由に戻ることができず、避難場所を転々とする日々である。南相馬市は自主避難となり屋内待機となる。

・1200人の自衛隊がローラーで、要望聞き取りなどを行った。しかし、障害者はリストが無く、ローラー対象になっていなかった。要援護者名簿は、自立支援や医療を受けている重度身体障害者や知的障害者など手帳を持っている人たちで精神のリストはないことが分かる。事業所につながっていないひとの支援が途切れることが無いようにしたい。対象は8000人。聞き取りした結果、宿題をたくさんもらってきた。

・南相馬市は20キロ圏内の小高地区、20〜30キロ圏の原町地区、30キロ圏外の鹿島地区の3つにわかれる。20〜30キロ圏の原町地区は、8割、5万人が戻ってきているが、物流が止まっていて孤立している。支援者サイドも被災者であり、先が見えず疲弊してきている。

・JDF(日本障害者フォーラム)の支援が入っているが、そろそろ時期的に厳しくなっている。

・県外からの応援は同じ人が長期間が良い。

・多くの障害者は、在宅になっている。しかし、避難所などにいないと支援を受けられず、物資が来ない。仮設住宅への入居はくじ引きで決まるため、それまでの人間関係を断ち切ることになり、寂しい思いをしている人が多い。相馬市では、25%が老人であり、1/4が年金生活者。南相馬市では、放射線の影響が有り、作付出来ない状況。地域が置いていかれている。仕事を作る支援をして欲しい。

・現在、常磐線が不通のため、障害者、高齢者、子どもの足の確保ができていない。利用者の移動サービスが不足している。20〜30`圏内の病院が使えなくなり圏外に行かなくてはならない状況。大きな病院も医師が入れ替わり立ちかわりで精神の利用者は投薬の関係などもありつらい状況にある。車とドライバーは確保できるが、ガソリン、人件費が難しい。現地支援として、必要なことのひとつ。ガソリン代やドライバー、ガイドヘルパーの人件費支援があれば移動サービスを立ち上げて雇用を作ることもできる。

5月16日

◎橋本さん宅:佐藤定広(自立研修所 えんどう豆 所長)さんの話。

・60人弱の利用者がいる。家をなくした人はいるが、死亡者けが人なし。

・水素爆発後、翌日8時までにどこに行くかわからない状況のなか、避難するのかどうか決めてと言われ、バス45台で新潟、杉並へ避難。避難しない場合には、ガソリン10L支給するので自分で避難先を決めなくてはならなかった。とどまる人は、水、電気、ガスなどのライフラインは残すので自己責任で。しかし、食料、ガソリンなどが無く、生きるために避難した。

橋本さん案内で相馬市、南相馬市の障害者通所施設訪問

◎NPO法人ほっと悠 工藤慎吾さん

・理事長と所長が避難してしまい、相談員の工藤さんと保護者のアルバイトの2名で施設を回している。

・日中活動がないと精神的に利用者、家族がもたず、集まる場所が必要なため開所。お茶のみできればと集まったが、集まるならと崎陽軒の箸袋つめ作業を行いながら、午前中のみ開所している。

・緊急時避難準備区域なので行政は正式には許可を出していないなか、利用者から避難する時には自力もしくは迎えに来ることの同意書をとって運営している。

・通常の半分以下の通所数で、保護者からの相談電話がたくさんある。

◎さぽーとセンターぴあ「ぴーなっつ」郡信子さん

・被災地障害者センター、JDFの南相馬市の拠点となっている。

・共作連から3人の支援が入っている。現在、休みなしで開所している。職員は一旦離散した。

・中規模グループホームからみて欲しいと言われ、40人の利用者を4人(介護職2人、事務1人、運転手1人)でみていた。物資は共作連が支援してくれた。

・30キロ圏内での施設運営が出来なくなり、30キロ圏外に施設を確保したいが、建物が無い。30キロ圏外の需要が増え、賃料も上がるなど確保しにくい状況。公共施設、国、県の建物など借りられれば良いのだが、公平性をたてに貸してもらえない。

・現在は自己責任で施設運営している。就労B、生活介護30%でやっている。

・30キロ圏内は小学校があいていないため、職員が戻ってきていない。戻ってこない職員は仕方ないのだが、募集すれば人はくる状況。

・助けてもらいながら、12,3人の入所者を受け入れ、週2回入浴も行っている。避難所からのSOSを受けている。緊急度の高い重いケースを受け入れているから、本来通所するメンバーが一部自宅待機になっている。自宅待機が長くなっていて、日中行けるところが無く、本人の状態悪くなり、家族の負担も高く虐待も現れている。

・30キロ圏内での事業許可が出ていないが、給付されることを前提に現在サービス提供を行っている。

・車が無ければ移動できない状況。買い物支援、移動支援がほしい。

・物資はあるが、必要なもの使えるものがこない。お金と買い物する人が必要。個人には赤十字の見舞金40万円振り込まれるはずが、5万円。4月中に入金のはずの東電の仮払金も入っていない。緊急雇用調整金も30キロ圏内は除外だったため入ってきていない。

・一方で、30キロ圏内は、会社が撤退していて、若い人は家も無く、仕事もなくお金がない。そのうえ、子どもが発達障害のひともいる。休業補償、失業保険でたべている。

・マスコミは、もともと人のいないところにもかかわらず、人がいないことを報道するため更にイメージダウン。正しい情報を伝えて欲しい。

・一日一日生きるのが精いっぱい。残ったものが受け入れるのが役割と思って取り組んでいる。3月半ばから今までの記憶が無い。手伝ってもらい、続けられている。

 こんな状況を前に、必要な支援は何か?と考えて、プロジェクトが始まるのだが、それは次回で。

南相馬の移送支援事業「さっと」の車両

(茂野・大森西在住)

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