ホーム > バックナンバー > 2014/02 > 戦争中の少女時代
今から六〇年前、私が女学校を卒業する頃と今とではずい分とちがうことがいろいろとありました。
今のように一人っ子ということはまれにいましたが、子どもはだいたいは五人位、サラリーマンの父親が七人位の家族を養っていたわけですから大変なことでした。
小学校が終わって、兄の中学校、私の女学校と共に言われたことは「受験は、公立校一校だけだよ」ということでした。兄は公立の化学中学校で、うまくいかず高等小学校に行きました。しかしがんばりやで後で自力で受験し、中学校卒業の資格を取りましたが、今の時代のように一人っ子で何度も受験することができる家庭環境とはちがうわけです。
私は受験の時制度の変更で、内申書と面接だけだったもので、うまく府立(後の都立)に入学することができました。ただ後述談があって、国語の教師から「今年の入学生は学力が劣っている」と度々言われたことがあり、それが忘れられません。
教師が教室で生徒に向かって愚痴ることがよくありますが、この時もまさに愚痴そのものであったわけですが、六〇年も経っても私がおぼえているわけですから、困った教師の愚痴です。
もう今では死語になってしまったでしょうか、先生への言葉で「デモシカ先生」という言葉が昔あったのです。知っておりますか。「先生にデモなろうか」「先生にシカなれない」ということです。私は卒業の時看護士になりたくて、日赤を受験しようと思い願書まで用意しましたが、父から「キツイからだめだ」と言われ、代用教員の道を選んだ経緯がありました。「デモシカ先生」だったのです。
(平林正好・池上在住)