ホーム > バックナンバー >  2014/01 > 満蒙開拓団を知る会

〜東京の満蒙開拓団を知る会・法政大学で講演〜
足元にある歴史を伝え、共に考えた

 東京の満蒙開拓団を知る会は、11月20日法政大学国際文化学部において「東京の満蒙開拓団をいま考える」と題して講演を行った。この講演は、国際文化学部が行っている「世界とつながる地域の歴史と文化」の講義の流れの中で、一般公開の講演会として行われた。担当教授は高柳俊男国際文化学部長である。

長野県飯田・下伊那と大学のつながり

 国際文化学部にいる留学生に日本の文化・歴史を伝える一環として長野県飯田・下伊那地域の歴史・社会・文化などを現地へのフィールドワークも含めた授業が行われている。この地を授業の対象に選んだことを高柳教授は「歴史的に海外との結びつきが深く、現在も多民族共生の社会を実現されていると共に古来からの伝統・文化を守り育ててその活動を記録しており、研修の地として最適だと考えた」と語っている。この授業の中には当然満蒙開拓団の歴史も入っている。
こうした授業を受けた学生がこの講演会の第一の対象者であった。また、この事業を通してつながりを持った飯田高校の在京同窓生の方達や南信州新聞の記者の方、大学の掲示板やインターネットを見て参加した学生や市民の方など15人がこの講演会に参加した。

学生からの問題提起

 当日は、高柳教授の学部としての取り組みの経過が語られたあと、大学院生から『満州移民と戦後移住を連繋するもの』というレポートの発表があった。「満州移民の経験が戦後においても引き継がれ、ブラジル・パラグアイに移住機関が経営する移住地に集団入植し、移民の中には分村方式による入植もあった」「敗戦後国民の多くは移民など考える余裕がない中で、移住を経済的海外進出の手段と考える経済界や満州移民を推進して戦後外務省や農林省に残った役人達が戦後の移民の推進者だつた」という発表を聞いて、戦前戦後を連なる為政者の無反省ぶりを改めて実感した。
 その後、授業を受けている中国からの留学生からのレポートがあった。彼女の日本にいる親戚のひとりは残留孤児だった人だった。瀋陽出身の彼女は「残留孤児、残留婦人の言葉は聞いたことはあるが詳しいことは知らなかった」と語り、「彼らは単なる引揚者ではなく異文化を生きた人たちであった。帰国者達は、国民として日本社会に迎え入れられるものの、一方で排除されている」という現実に対して「中国帰国者の支援は過去の問題ではなく、未来につながるものだ」と今後の研究や活動の課題を語っていた。中国国内でも忘れられようとしている史実を見据えていこうとする彼女の熱意が感じられた。

東京満蒙開拓団の史実を伝える

 続いて、NHKが作ったドキュメント番組「強いられた転業 東京開拓団〜東京・武蔵小山」を観たあと、東京における満蒙開拓の送り出しの歴史を研究成果を踏まえて私の講演を行った。
 講演の後の質疑も活発に行われ、「満蒙開拓」が棄民政策であったことや人々が好むと好まざるとに関わらず時代の波に押されて開拓団に行ったことを改めて知り考えさせられたという感想が述べられた。今後も、東京の満蒙開拓団を知る会として多くの人にこの史実を伝えていきたい。

(東京の満蒙開拓団を知る会・ 藤村妙子)

ページの先頭へ↑