ホーム > バックナンバー > 2013/12 > 今昔物語(6)
先ごろ阪急阪神ホテルズが運営するホテルやレストランのメニュー(食材)の虚偽表示が発覚して以来、東急ホテルズ運営のホテルのレストランや、大丸松坂屋が昨年末に発売したおせち料理での食材偽装、虚偽表示問題の波紋が広がっている。さらにJR九州ホテルズや京阪電鉄の子会社のホテル京阪、京王プラザホテル、東武百貨店などでも虚偽表示が発覚した。経営者が形だけ神妙な顔で登場しては「誠に遺憾です!」を繰り返している。不思議なことに鉄道会社が運営するホテルに虚偽表示が目立つとは思わないだろうか。
●駅名の不思議は数多く
しかし、実はこれはまったく驚くに当たらない。鉄道会社の虚偽表示はホテルやレストランなどの運営を始めるずっと以前から、本業の鉄道営業のほうでは行われていたのだ。その最たるものが駅名の虚偽表示である。皆さんもこんなクイズみたいな問題を出し合ったことがあると思う。「目黒駅って何区にある?」、「それじゃ、品川駅は?」、都内に住む人にはその答えはわかりきっていると思うが、正解は目黒駅があるのは品川区で、品川駅は港区にある。
厳密にいえばこれらも虚偽表示なのではないだろうか。この手の類は数え上げればきりがないが、東横線の学芸大学や都立大学駅には同名の大学はない。大学はとうの昔に移転してしまい、駅名だけが残ってしまった。しかしこれなどはまだいいほうだ。かつては最寄り駅として同名の大学が実在していたのだから。西武池袋線に大泉学園駅がある。この駅は関東大震災から1年後の大正13年に開設された。沿線のイメージアップをはかって教育施設の誘致をはかり、震災で大きな被害を受けた東京商科大学(現、一橋大学)などの誘致を企図したが果たせず、ついにあてにした学園は来なかった。この駅は大泉学園と呼称しておきながら初めから学園不在だったのだ。
●無人の地に品川駅
京浜急行沿線にも魔訶不思議はある。京急品川駅を出発して蒲田方面に向かって南に進むと最初の駅が北品川駅である。「品川の南に北品川? えっ、なんじゃそれ?」だが、この混乱の起因責任は、京浜急行ではなく官営鉄道(現、JR)側にある。今回はこの謎解きを書いてみる。
1872(明治5)年、新橋から横浜(現、桜木町)の間に日本で最初の鉄道(陸蒸気)が開業した時からすでに品川駅は設置されていたが、実は設置場所の地名は品川ではなかった。現在の住居地番でいうと港区港南二丁目一番一号であり、駅の西側は東海道(第一京浜)を挟んで港区高輪である。現在の駅周辺は超高層ビルが立ち並び大都会の様相を呈しているが、当時の地図を見ると、東海道のすぐ東側は海(江戸湾)で、袖ケ浦と呼ばれた海岸を埋め立てて品川駅(停車場)を作ったことがわかる。御殿山や八ツ山の丘陵を削った土砂で海岸の浅瀬を埋め立てて駅を建設したのである。当然のことながら現在の町名である港南というのは埋立地に後から付けた地名である。それではなぜ別の地に開設した駅に品川駅と名付けたのだろうか。
●品川宿に駅は無理だった
品川駅の名前のもとになっている品川宿は、東海道をお江戸日本橋から出発して2里、最初の宿場として栄えていた。位置的には現在の京浜急行北品川駅から青物横丁駅にかけてで、目黒川を挟んで北品川宿、南品川宿と呼ばれ東海道沿いの両側に約2キロにわたって続いていた。寺社、本陣、旅籠屋、料理屋などの店が軒を並べ、大工、左官、建具職、仕立職など多くの職人が住んでいた。商店は1600軒、人口は7000人というから当時としてはどれだけ大規模な宿場町であったか想像がつく。
さて、いざ鉄道を通すということになった時、煙をもうもうとはいて驀進する陸蒸気は嫌われ物で、敷設反対運動があったことは、よく知られている。大森駅が本来の大森村になく、人家の少ない不入斗村に作られたのもその一例で、以前このシリーズで書いた。ましてや人口7000人を擁する品川宿の町中に鉄道を通し、駅まで作っちゃおうというのは考えてみれば無理な話である。住民の説得、用地買収、代替え用地の用意、車夫などへの営業補償など考えたら、無住の浅瀬の海を埋め立てたほうがずっと手っ取り早く、しかも安上がりである。ということで高輪の海岸に駅は作ったものの、前は海、後ろは大名の下屋敷があるだけの寂しいところだった。
●京急は官に振り回された
本来は地名から高輪駅とでもすべきところなのだが、繁栄を誇っていた品川宿のほうが名の通りがよいということもあってか、品川駅となったようである。
さて、ややこしいはそれからだ。京浜電鉄(現、京浜急行)は大師鉄道として開業し、六郷橋から北は蒲田、大森方面へ、南は横浜方面へと路線を延伸していった。そして1904(明治37)年、荏原郡品川町大字北品川宿の地にターミナル駅を作った。名称は品川駅であるが、これは実際に品川の地にあり、虚偽表示ではない。通称は八ツ山停車場と呼ばれた。それから20年後の1924年、京浜電鉄は国道の併用軌道を使って延伸し、官鉄品川駅と国道を挟んで反対側に高輪駅を開設した。これも地名と一致している。初代の京浜電鉄の品川駅は少し後退し、翌25年北品川駅と改名した。さらに33年、京浜電鉄の高輪駅は官鉄品川駅側に乗り入れて、官鉄に合わせて品川駅と改名、高輪駅の名を捨てた。ようやく現在のような形で収まったのである。
このような経過を経て、品川駅の南にあるのに北品川駅という珍事が起こってしまったのであるが、そもそも、官鉄が品川にないのに品川駅としてしまったのが混乱のもとだった。京浜電鉄としては、官鉄が作った既成事実に振り回されてしまった結果、こんなことになってしまったというのが謎解きである。
●許し難い偽装が今
今回は鉄道会社の虚偽表示問題について書いた。これも国(官鉄)による詐称が混乱の原因となっているが、これなど政府による国民騙しの虚偽表示に比べればまだまだかわいいもので、罪は軽いといえる。それより絶対に許せないのが安倍政権による虚偽表示、偽装法案である秘密保護法だ。恣意的な名目で国民の目、耳、口をふさぎ、憲法の基本原則である国民の知る権利を奪い、正当な情報収集活動でさえ、国家秘密とし「何が秘密かも秘密のまま」処罰しようとするとんでもない悪法である。それは外交、防衛から原発、治安維持などあらゆる分野が対象となっていて、こんな悪法がまかり通ってしまったらその先に待ち構えているのは暗闇社会以外の何物でもない。こんな小さなミニコミ紙に政府批判を書くことさえ命がけになってしまうかもしれない。ホテルやレストランの、あるいは駅名の虚偽表示どころの騒ぎではない。最悪の場合、この記事が読者のお手元に届くころにはこの法案が成立してしまっている恐れがないとは言えない。安倍政権も直ちに「誠に違憲です!」と国民の前で頭を下げて虚偽法案を撤回すべきだと思うがいかがだろうか。
(多田鉄男 新蒲田在住)