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今井英男さんを追悼する
地域運動への長年の貢献に感謝します

 本誌編集長の今井英男さんが6月18日急逝されました。7月号編集の中間点検作業も済み、編集の仕上げに入る矢先の悲報でした。自宅でご家族といつも通り朝食を済ませ、自室で一休みしている時に、ご家族が異変に気づく間もなく静かに息を引き取ったとのことです。
 読者の皆様には遅ればせながらこの場を借りて、今井英男さんの悲報を哀悼を込めてあらためて報告する次第です。またこの事情のため、やむなく7月号を休刊としたことを合わせてお詫びします。
 本誌は今号より頁数を4頁減の12頁として新編集長の下で発行を継続しますので、今後共ご購読をお願いします。

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 本誌は1997年2月号を第1号としています。この地域で長年緩やかに協力しながらさまざまな課題で運動してきた諸グループ、個人が、地域ミニコミの共同発行として始めました。丁度、労働運動やいわゆる革新勢力の退潮がはっきりしてきた時期でした。その状況を背景に、運動全体をあらためて地域に根ざしたものにするために、お互いの運動をよく知り合い、経験を共有しつつ共同をより広げて進めたい、との思いが共有されていたと思います。
 そして発刊企画の話し合いや2号の準備号作成など、発行に向けた作業は第1号発行のほぼ1年前から始まりました。その中心にいたのが今井さんです。今井さんはその始まりからまさに亡くなるその日までほぼ17年間、本誌発行の中心的組織者として、また取材に編集実務にと大車輪で奮闘してきました。

 今井さんご自身はそれ以前も、自分の職場であった日本航空や地域の労働運動、大田での平和運動、消費者運動など多くの場で運動を支える重要な役割を果たしてきていました。またつい最近では、「東京の満蒙開拓団を知る会」での歴史の掘り起こしという貴重な仕事を率先して組織し、その成果を『東京満蒙開拓団』という著作に結実させたことも、すでにご承知のことと思います。今井さんのこの多様な活動の広がりが本誌の発行にも大きな力となっていたことは言うまでもありません。今井さんのあまりに早すぎる旅立ちが今さらながらに悔やまれます。

 ところで本誌記事の見出しの字体が記事毎に違っていることお気づきでしょうか。実はこれはある種の遊び心というか、記事の内容に合わせ字体を選ぶことに今井さんは結構凝っていたのです。100種類以上になる字体ソフトを自分のコンピュータに組み込んでいました。おそらく、少しの遊びを入れることで本誌を少しでも親しみやすくしたい、との思いがこもっていたのだと思います。

 このような今井さんを私たちは失いました。大きな痛手ですがそれで立ち止まることを今井さんは望んでいないと思います。時代はなお多難ですが、今井さんの思いも引き継ぎながらしっかり前を向いて歩き続けることを胸に、今はただ、今井さんのこれまでの尽力に感謝し冥福を祈るばかりです。(編集委員・大道寺毅)

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