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正好の思いで日記 戦争の中の少女時代(1)
大森高校はいも畠

 今、私は池上に住んでおります。仲の良い友人の家もあり、大森高校の北側の塀沿いの道をよく歩くことがあります。その時、昔のことを思い出すのです。
・池上駅前の線路沿いのマンションがある場所は広い畠だった。
・現在の大森高校の土地には将来17高女(戦前の高等女学校)≠建設する。それまではいも畠ということで、勤労奉仕でつる返しに出かけた。
・17高女は第8高女に当初は間借りして、第8高女の方は家庭科、図書室、習字室をなしにして教室移動で解決していた。
・いろいろあったが卒業まで校舎を建てずに、17高女は第8高女として卒業と、いも畠にもいろいろと小さな歴史があったわけなのです。
 遠い昔のことであっても、戦争ということの影響で、教育行政が変化していった事が心に残っているのです。
 女学校の国語の先生が時折ぐちめいてこぼしていたことばを思い出します。
 「今年の1年の生徒はどうも学力不足だと思いますね」ということです。具体的には何を指しての感想かはわかりませんが、その裏付けになることは生徒の私達には察することができていたのです。
 それまで府立(現在の都立)は入学試験があったのですが、私達の年から筆記試験がなくて内申と面接だけになったのです。別のことばに変えれば きびしい難関突破≠経験してきた生徒たちではなかったのです。
 今の子ども達だったら「そんなこといったって私達のせいではなく、制度が変わっただけでしょ」と言い返すところですが、そこは昔の生徒、ともかく黙って聞くだけだったのです。結構おとなしかったのですね。
 いも畠から少々離れすぎますが、もう少し続けて書きます。おとなしさのことです。
 女学校は5年制ですから1年生から5年生を見ると、年の差を強く感じました。しかし私の属した弓道部は、他のバレーやバスケット部と違って親切な優しい指導者の感じが強かったのです。
・手取り足取り上級生に教えてもらうのです。
・的はり≠ニいって作業をしますが、のりづくりから紙はり、かわかしまでも教えてもらいました。
 弓道場は校舎の裏側にあります。上級生の本のやりとりを見たり、「エス」なんていって好ききらいなどいろいろありましたが、先生の目から離れた「自由」な生徒の場が弓道場にはありました。
 おそらく先生には言わないことだと思いますが、学校批判、先生評価など、道場の中ではよく耳にしました。勿論大森高校のいも畠の批判も耳にしました。1年生から見ると5年生などは高いところにいる先輩だったのです(付け足し……弓道初段・2段の免許状をもらいましたが、東条英機名でした)。
    (平林正好・池上在住)

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