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==本の紹介== 時代はドロップアウトがトレンドかなあ?

久下 格 

 車谷長吉(くるまたに ちょうきつ)、町田康、佐藤洋二郎、佐伯一麦、と四人の名をあげても、たぶん一人も知らないぞ、そんなやつと言われるかもしれませんね。じつは四人ともいわゆる純文学系の作家なのですが、車谷長吉は「赤目四十八滝心中未遂」で今年の直木賞を取ってますし、町田康は「くっすん大黒」でたしか昨年のドゥマゴ文学賞と野間文芸新人賞、佐伯一麦は「ア・ルースボーイ」で三島由紀夫賞を、佐藤洋二郎も「夏至祭」で何かの賞…何だったかな?…を取っていますから、その世界では名のとおった人々ではあります(私小説作家と自他共に認める車谷長吉の作品が芥川賞ではなく直木賞を受けた事情にはいわくがありますが、その話には脱線しません)。ここで彼らの名を上げたのは、もちろん文学賞を取った最近の作家を知っている限り上げたということではなく、彼らに共通するあることがらが私には他人と思えないところがあって、作品を追いかけて来たからです。

 その共通点とは「ドロップアウト」ということで、四人ともドロップアウトした時点からの自分の人生を小説に書いている、それも、一番若い三十六才の町田康以外はドロップアウトした経過に六〇年代末の青年・学生反乱の影響が濃厚にある。彼らに六〇年代末の反乱を正面から取り上げた作品はないようですが、世の中の権威に組すること、社会を構成する三角形のピラミッドを上昇することは悪だという考え方が、多くの若者たちをとらえていた時代の雰囲気のなかでドロップアウトしたことは、町田以外の三人の作品を通してうかがえるというか、ほのめかされています。そうして彼らはその後、当然にも幸せとは言えない人生をおくることになるわけですが、彼らはその人生を小説にすることで自分自身を救済してきた。あからさまに言えば、ただ不幸な人生を生きているだけでは救いはないけれど、不幸な人生でも文章にすると意味があるような気がしてくるわけで、彼らをそういう風な小説家として括ることができます。実は私も去年「謡子追想」という小説を出しましたからとてもひとごととは思えません。私たちの経験したあの時代を背景とした作家がようやく登場しつつあるのはうれしいことです……、というのは公式発言で、本心は、悔しいな、俺だって彼らのように書きたいなと思う今日このごろです。

 ところで、町田康一人だけは、ドロップアウトと言ってもだいぶ事情が違います。車谷長吉や佐藤洋二郎、佐伯一麦の場合、ドロップアウトするには相当の覚悟というか決断がともなっていて、悲壮とも言える感じがあるのですが、町田の場合は高校生のとき親戚の女の子に手を出して故郷に居づらくなって東京にくることが契機ですからまったく違います。東京に出てきた町田は芝居やったりパンクロックやったりしてそれなりの金が入ったこともあるんだけど、(実際、町田は町田町蔵という名で、パンクロッカーとして売れていた時期がある)どれも長続きしない。一生懸命ということがどうも根っからしょうにあわない性格らしく、働くことがそもそもできない、いわゆる「だらしない性格」をしている。それで、ふらふらと女のひもみたいな生活をしているが、それではやはりものたらない。俺もいっちょう一旗上げてやるかといろいろやっても、結局持続力というものがないからうまくいかないわけです。要するに体、一時はやった言葉で言えば「身体性」が人間社会に適応していないわけですね。彼の作品はそういう「失敗人生」「落ちこぼれ人生」を、関西弁の混じった文章で、徹底的に笑いのめすものばかりです。それで、彼の小説を読んでいる常識人は、こんなに適当に生きられるのなら、あくせくあくせく社会の歯車としての日々を送っていることが馬鹿らしくなってくる。ああっ、こんなにいい加減に生きられるのかという、一種のカルチャーショックを受けるようですね。やはりパンクしかないのかな、パンク! と思えてくる。 「夫婦茶碗」の帯には「レッツドロップアウト! ポストバブル゛時代の福音書、ここに誕生!」とあります。町田康の本はたて続けに出ていてよく売れているようです。私も「くっすん大黒」を買って読んで、徹夜勤務の二十四時間の間に読み終えてしまい、次の日一人で遠出する予定があったものですから、明番の日にもう一冊「夫婦茶碗(めおとぢゃわん)」というのを買ってしまいました。一人の作家の作品をはしごしたのは初めてです。

 四人のなかでお勧めは車谷長吉と町田康。読売新聞に載っていた今年のベストスリーの中で、何人かの評論家が車谷長吉の「赤目四十八滝心中未遂」と町田康の「夫婦茶碗」の中に収録された「人間の屑」というのを入れていましたから世間の評価も高いようです。車谷長吉の作品については、実は汽笛の締め切りがとおに過ぎていて大急ぎで書いているから紹介する時間がないのですが、町田とは対極的に「人生の苦悩」のようなものがこれでもか、これでもかと出てくる重たいものです。でもただ重いだけではなく「赤目…」はお話としても大変面白く書かれていて、それが直木賞につながったということもあるんですが、暗い・重いだけの作品ではまったくありません。作品の重みという点からすれば、車谷が100、町田のが10くらいですが、両方読んで読み比べてみるのも面白いと思います。後の二人は名前と本の紹介だけにします。


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