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剣が峰に立って思うこと

久下 格 

 国労が3月18日に臨時大会を開いて「国鉄改革法を認める」方針を「満場一致」で決定したとき、私はそれ以外の展望がないのならしかたのないことだと思いました。分割・民営化を認めるのは、国鉄闘争の大義を裏切り、国労を支援してきた労働者や労働組合をないがしろにして企業内組合に逆戻りするものだ、等のもっともな批判は当然予想されるけれども、しかし、労働組合が網領にもとづいて団結している政党ではなく、普通の労働者が自らの生活改善のために作った組織である以上、国労攻撃が開始されて、すでに15年以上経過している中で、ずっと闘ってきた労働者たちが、この辺で一旦、鉾を納めようと考えたことに対して、だめだとは言えないと思ったからです。

■■ 解雇撤回闘争10年説?? ■■

 経験的な事実からして、労働組合の解雇撤回闘争はおよそ10年で一つの節目を迎えると言うのが私の持論で、はじめの2〜3年では、労働者の方も経営者の方も、首を切られたとき、切ったときの感触が生々しすぎて、怨念や怒りからとても手打ちとはならない。10年ほどもすると、双方にある安定した関係に近いものが生まれて、まあ、手打ちでもいいかというような感情も生まれる。労働者の方から言えば、20歳前後に就職し、仮に10年働いたところで首を切られ、10年闘えば40歳です。三里塚闘争が30年にもわたって闘われたのは、土地を守る農民の闘争は親の代から子の代へと、代をついで闘うことが可能だったからであり、一代限りの労働者の闘争には、おのずと時間的制約があります。私のまわりで闘われたそんなに数の多くない解雇撤回闘争を考えても、ゼネラル石油の争議にしても沖電気争議にしても、日産ディーゼルの闘争にしても、だいたい10年くらいで解決しています。ゼネラル石油は全員が職場復帰、沖電気の場合は半数が職場復帰、日産ディーゼルは金銭和解ですが、いずれもそれなりの条件を勝ち取っての解決でした。

 一方、10年くらいでおとずれる解決の機会を逃すと闘争は永続化というか本当の泥沼化するような感があります(繰り返しますが、これは本当に根拠のない山感です)。20年続いた争議を私はいくつか知っていますが、実(じつ)のある解決を達成した争議となると東京東部労組大久保製壜支部の闘いしか思い浮かびません。10年なら人生の中の1ページ(もちろん大変重たい1ページですが)ということも可能ですが、20年となると、これはもう人生の中の大部分、ある意味では解雇撤回闘争こそが人生であるという風になるから、これは、解雇撤回闘争それ自体を人生の意義と考える、一種の哲学というか人生観を持たなければ闘えないということにもなりかねない。もちろん、解雇撤回闘争は相手のある闘いであり、相手がそれなりの手打ちに応じない場合には、闘いは好むと好まざるとにかかわらず永続化する以外ないわけですが、しかし、解雇撤回闘争はやはり10年がひと区切りでしょう。

■■ 「道筋はついた」か? ■■

 そういうことで、国労が、昨年5月28日の不当判決という重い足枷をなんとか外し、政府・自民党を使っての和解・解決を探るために、相手側が出してきた「国鉄改革法を承認しろ」という条件を飲んだことは仕方のないことだと思ったわけです。しかし、心配していたのは、闘争団などから出された、「国鉄改革法によって首を切られたわれわれが、その法律を簡単に承認するわけにはいかない」という批判に対して、国労本部は「解決の道筋がついた」ということを言って、説得したわけだが、それを信じてもいいのかということでした。「国鉄改革法を承認する」という態度を表明すれば、本当に事態が解決にむけて動き出すのか。基本線で譲歩したことによって次々と譲歩を強いられ、しまいには13年間の解雇撤回闘争が水胞に帰すような「解決」にもならない「解決」を強要されるのではないかという不安がありました。というのは、全逓の4・28処分撤回闘争という前例が、どうしても頭をはなれなかったからです。

 1978年暮れに闘われた全逓の反マル生職場闘争に対しては、職場活動家の報復大量解雇が行われたわけですが、これに対する解雇撤回闘争の過程では、全逓本部が、政府との和解ができたとして、首を切られた労働者に処分撤回の行政訴訟を取り下げさせて、新たに郵政省の採用試験を受けさせたわけですが、その結果は何と全員が不合格。結局、自らの意志で訴訟を取り下げた事実だけが残るという、何とも無惨な結末を迎えた。このとき、右傾化して郵政省との協調路線に転化したくてしょうがなかった全逓本部は、「採用されるとの感触を得た」とか何とか、無責任なことを言ったのですが、結局、それを信じた被解雇者はひどい目にあったわけです。今回の国労本部の「解決の道筋ができた」という説得の文句は、はたして全逓本部の言った「採用される感触を得た」という言いかたとは違うのか? 私は違うと思いたいが、どうなんだろうなあと思ってきたわけです。

■■ 得るものなく矛を収めることはできない ■■

 それが、このところの動きを見ると、どうも私の心配が半ば現実化してきたような感じがして嫌な気分です。ここ数ヵ月の動きをみると、一向に政府・自民党が動き出す気配が見えず、国労の側は「国鉄改革法の承認」ということについて、全国大会では「改革法の趣旨に賛成するわけではない」と説明されたはずなのに、自民党や自由党の求めに応じて、その一線を大きく越えるかのような文書を提出するなど、ずるずると相手側に引きずられているように見えます。今、政府の側は「冷却期間を置く」と宣言して動きを停止していますが、その理由が、国労がいまだに大衆闘争を展開しているから、ということらしい。解決を求めて国会周辺で座り込みや要請行動を繰り広げたこと、JR東日本の株主総会で会社とJR東日本労組革マル派執行部との癒着と国労敵視の労務政策を追及したこと等が問題にされているようです。つまり、相手側は、国労が闘争の敗北を全面的に認めて恭順の意志を示して頭を垂れ、相手側の情けにすがることを求めてきている。ここにいたって、状況はどちらに転ぶかわからない、へたをすると地獄に引き込まれる可能性のある剣が峰にさしかかっていると言えるでしょう。踏ん張りどころです。

 ふんばる根拠は闘争団の姿勢です。家族も含めればおよそ2000人の闘争団は、この間、何回かの全国会議を経る中で、「JRへの復帰」を基本とする解決以外に認めないという姿勢を明らかにしつつあります。彼らが頑張る根拠は、13年間闘ってきた自信であり、たとえ月20万円に満たない金額であろうとも、自分たちで自活・自立して闘ってきたという経済的な力もある。闘争団がしきりに問題にしているのが「人道的問題として」という語句で、「人道上の」という言葉が、この間の交渉のなかで双方、とりわけ相手側からしきりに言われていることへの反発です。
「第三者が言うのは理解できるとしても、不当労働行為を犯した当事者が被害者に対して人道を云々することはおかしい」
 というのが彼らのしごくもっともな主張です。果たして政府・自民党は被解雇者と家族の納得できる解決に踏み込むつもりがあるのか。それとも、全逓の被処分者を篭絡したように、今回もまた、名誉と実損の回復を求める労働者と家族の望みを踏みにじる「解決ならざる解決」に引き込むことだけを考えているのでしょうか。微妙な時期だけに、国労本部の姿勢と能力が今ほど問われているときはないと思います。

 8月末に国労は全国大会を開きます。相手側は全国大会を注目しているはずです。全国大会で悔いのない闘いにむけた意思統一が出来ることを望むのみです。解雇撤回闘争10年説に立てば、今回の解決気運を逃せば、苦しく長い闘いになるような気もしますが、何も得るものなく矛を収めるくらいなら頑張り続ける方がいい。その覚悟を肝に銘じて闘う時期でしょう。

■■ 若い人たちと一緒に働いていると… ■■

 さて、最後になって話を変えますが、13年ぶりに本来職場に戻ってからちょうど1年が過ぎました。いろいろ書くことはあるのですが、同年代か自分より年上の人がほとんどだった「隔離職場」と違い、自分の息子であってもおかしくない、20歳前の新入社員と一緒に仕事をしていることが、一番刺激になります。彼らはほとんど1年間しか駅で働かず、1年たつと車掌試験を受けて車掌になり、さらに何年かして運転士試験を受けて運転士になる約束で入社していますから、私たち駅にいる古株とは1年だけの付き合いですが、長年の労使対立、労労対決の中で生きてきた私たちの世代とは違い、真っさらな感性で仕事と職場を見ている彼らと話しているといろいろ考えさせられます。(詳細にはあえて触れません)。私たちの闘いは彼らの世代が、安心して伸び伸びと働き、生きていくために役立つものにならねばなりませんね。

** 補足 **

 全逓4・28解雇撤回闘争を「反面教師」として引いてしまいましたが、私の理解は違うかもしれません。関係者で気を悪くされた方がありましたら申し訳ありません。

(1999/08/15記)


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