K. T.
■■ 始めに ■■
どのグループも弁護士も裁判に勝って政治解決を含め和解と考えていたと思う。裁判所の訴訟指揮などで勝てるかのような印象で「絶対勝てる」それ以外のことは考えもしなかった。それほど裁判闘争一辺倒の解雇撤回闘争になっていた。闘争団は長期闘争も戦える準備はしていたと思う。でも当然だが裁判で負けるとは考えていなかった。5.28の敗北ですべてのグループが方向感覚を失った。弁護士の一部は一勝一敗などと懸命の言いつくろいをしたけれど全面的な敗北であったわけでそれは組合員に絶対に勝てるだろうと言う幻想を植え付けたと言う意味で責任がないとは思わないが、それはしいて言うなら弁護活動の間違いとはいえないと私は思う。国労運動が労働委員会闘争や裁判闘争に依存しすぎており結果的に弁護し任せにななりすぎていた。5.28判決は採用差別裁判の全面敗北であり国労内で一連の動きが開始された。一番好機ととらえたのはチャレンジグループ(国労内連合派)で闘争団問題に決着をつけ本務中心の会社と協調主義的な国労運動への転換を図る。その上で対革マルJR総連東労組に対しJR連合との共闘でJR東日本内多数派になろうと一気に舞台の中心に踊り出た。対革マルのカードとしてJR東日本会社の支えも得ようとした。それがチャレンジグループによる全国大会での五項目補強案提案の経過だと思う。彼らは正直過ぎるくらい国労に全面的な路線転換を求めることを表明していた。いずれはJR連合に結集し国労運動を連合労働運動に解消しようとしていたと思う。
■■ 新社会党、高橋委員長とその周辺グループ ■■
新社会党高橋グループ+五項目反対派も勝って和解と考えたのは変わらない。そういう意味では5.28は衝撃だった。しかしこの部分を支えていた組合員はあくまで五項目補強案反対の部分が多くとりわけ一気に五項目すべてを飲むことはできなかった。一気に飲んだら支持基盤がまったくなくなったろう。指導部に残ろうとするには五項目補強案に抵抗しなければならず、どれだけチャレンジに主導権を譲らないような状況を確保するか苦心したと思う。しかし解雇撤回闘争の方針については5.28以後新しい方針は何もなかった。裁判闘争の継続と二百万人署名、ILOへの提訴しか現実的方針は打ち出せず困惑していたと思う。大衆的な抗議ストライキ、抗議集会、持続的な解雇撤回の抗議行動、それらを準備するための意識的な大衆の組織化(労働委員会制度の解体に対する反対の共同闘争、新しい労基法改悪、労働者派遣法反対の闘いとの共同行動)など組合員の一人一人の反動判決への怒りを表現する取り組みは本部の全国的方針としては何もなかった。翌年二月の新橋支部の自主的な座り込み抗議行動は国労本部への方針不在への苛立ちであり解決へ向かうとしても戦いなしでは解決の水準さへ押し上げられないという思いであり組合員の何とかしなければという気持ちの表現であったと思う。社民党、共産党、民主党全野党が「人道上の問題での解決」を発言していたという状況では政治解決=政治による和解、という方針がもっとも可能性があり現実的方針と考えられた。しかし解決交渉に乗るには自民党三条件が組合員を納得させる上で障害になっており、かといって無条件では自民党は乗ってこないわけで過去の経緯(94年202億訴訟の和解、97年8.30申し入れ)を考えるなら改革法の承認だけならやむを得ないと考えていた。ところが突如としてチャレンジが自民党の三条件を含む五項目の補強案を大会に出してきて一気に解決水準は別として解雇撤回闘争の収集をめぐる主導権争いが始まり一連の動きが開始された。それは98年の全国大会での委員長人事をめぐるチャレンジと東京地本をバックとした現高橋委員長社民党の浜田などの要請などで明らかなように自民党は国労の統一性を望んでいた。言葉を換えていうなら「このままバラバラでは相手にされない」というチャレンジと高橋との間で共通の危機感があった。執行部の分裂が一般組合員まで巻き込んだ分裂として内と外に明らかになるや高橋委員長は主導権を維持しながら統一を確保するために一気に収集に踏み込んだ。高橋委員長は11.18中央委員会の「総団結の訴え」で事態を沈静化させつつ時間を稼ぎながらチャレンジの動きを見据え社民や自民党、運輸省と公然、非公然に会い「解決のめど」を得るために奔走していた。(1、29中央委員会報告)キャスティングボードを握る革同が(1/29日中央委員会で革同の中央委員が改革法承認での臨大開催を求める発言をする一方、神奈川地区本部の革同が128人の署名入り改革法承認反対のチラシを配布する)という御家の事情を党の力でねじ伏せ団結と統一を名目に高橋側につくことによって流れは高橋主導の臨大開催で終結となった。三月十八日の臨時大会はあくまで改革法反対を貫こうとする千葉地本や旭川地本などの部分を含んだ高橋グループ、現状追認の革同グループ、連合運動に向かうチャレンジとそれとブロックを組むグループというように三者の攻防を示しながら改革法承認で収束した。それは国労に路線転換を一歩踏み出させたと言う意味でチャレンジグループにとって一歩前進だったろう。
■■ 革同は ■■
革同も同じで勝って和解と考えていたと思う。全労連運動からいっても連合に解消されるわけには行かず、当初は新社会党と共闘していたと思うが国労を残し混乱を収拾できたのは我が学校の力だといわんばかりに改革法承認に踏み込んだ。全国大会では五項目反対で対応したが年末の全国革同会議で上村を中心とした部分によって改革法の承認でいく事にした。彼らは政権獲得能力を示すという共産党の最近の方針に添って君が代日の丸問題のように現状追認の行動を国労運動でも展開すると思われる。
このようにどのグループも解雇撤回闘争その他配属差別など分割民営化をめぐる裁判闘争については裁判闘争一辺倒で裁判闘争を支えることに運動が収束されてきたと思う。そういう意味では闘争団は地域闘争、社会的闘争、国際連帯闘争、生産者協同組合などあらゆる意味で運動の質を発展させてきた。しかし本務を指導している指導部は依然として総評労働運動の敗北に関しても総括できず全労協運動に関しても中途半端なかかわりで時代に応える運動に移れなかった。総評運動の中で主流、企業内で多数、資本が改良の余地を残しているうちは企業内労働運動で組合員を組織できた。が、しかし国家的不当労働行為に直面し分割民営化反対の大闘争を経て少数派に転落すると経験主義でやれてきたが数年後には大きな壁につきあたあたった。強制された国家的不当労働行為との対決から目的意識的な国家との対決への転換への挑戦が求められていたと思う。そういう意味で高崎や闘争団は別にして国労運動の今までの質を超える運動を展望できずそのまま5.28を迎えてしまったと言えるのではないか。
■■ チャレンジグループ(旧大田協会が中心といわれている) ■■
修善寺大会では国労に残ったが民営化後労使協調路線を追及。しかし国労内多数派になれず、かといってJR東日本の中で今、分裂してJR連合に合流してもしても西や東海のように多数派になれないことから国労内多数派になるのを待っていた。今後はよりいっそう五項目の貫徹に向けて行動するだろう。それは当然資本とのより一層の癒着を強めるだろう。控訴取り下げ、係争事件の話し合いでの解決、単一組合の解体、連合労働運動への傾斜を進めるのが目標となる。全逓のように全郵政と合併しなくとも路線の違いはほとんど変わらない。そのように国労をゆっくりと解体させることが考えられる。問題なのは彼らはこの半年間の行動によって職場に広がりつつある一種の敗北主義的雰囲気を活動家もろとも獲得しつつあることである。5.28は敗北した、現場の差別や不当労働行為はやまない、平成年度採用組みは数多くは加入してこない。何とかこの悪矛盾から逃れたいという圧力は会社との和平を求める声を生み出している。(路線としているのは横浜支部など)彼らは高橋グループの主導権での臨時全国大会で一時的に失速したが再び自信を持って次の全国大会から攻撃を再開するだろう。
■■ 新社会党+改革法反対グループ ■■
修善寺大会で労使共同宣言を拒否し分割民営化に反対を貫いた活動家群はどうなったのか。一方は解雇者にまたは広域で本州にきて差別を受けその他は隔離職場に配置された。しかしこの十二年で事業部は廃止となって多数は本務へ復帰、配属差別を受けたものは退職や本務復帰で救済対象者が一握りまで減少した。こうして民営化にかかわる係争事件は採用差別問題を残してなくなりつつある。それは修善寺大会で労使共同宣言の締結に断固として反対した二万人の人活センター活動家の力が解体されそれは現在闘争団とベンディング職場と営業センターに切り縮められていると言えるのではないか。それはますます国家的不当労働行為との対決という構造から企業による国労差別との闘い、相対的に本工主義的改良主義への傾斜を深めていく。五項目補強案はまさにその受動的表現でもあったと思う。国家とJR会社が解体したいのは改革法を頂点とした国家的不当労働行為と戦いつづける国鉄労働運動であり企業を超えたところにある運動であり全労協の重要な一角を占める運動なのだと思う。然しこの国家的不当労働行為の犠牲者であり抵抗を試みている本務などの活動家群は徹底した国労潰しの差別や不当労働行為によって平成年度採用の新しい社員を獲得し新陳代謝できていない。(全国で70名)ここに抵抗の風化とチャレンジに抗する戦いを提起し得ない弱さがあるのだと思う。このままでは国労が縮小してしまい何年後かはなくなってしまうという予想からやむをえない一つの選択としてチャレンジグループの方針を許容しようとする傾向を生み出している。この部分は左に引っ張る展望と力ある運動がなければ徐々にチャレンジの左に位置する潮流に変化していかざろう得ないと思う。
■■ 解決なのか終結なのか、私の評価 ■■
5月18日、毎日新聞などで「JR不採用問題前進へ」とする記事の中で、国労の高橋委員長が自民党や自由党の幹部らと会談、政府与党が「早期解決に向け関係者に努力を促す」方針を談話などで発表、翌18日には川崎次郎運輸相が記者会見「政治的には詰まっているように思う」と述べ、政府与党が具体的な協議に入る見通しだと報道した。そして25日自民、民主など参議院全7会派の代表が野中官房長官と会い野中は「与党と十分連絡を取りながら、問題解決に努力したい」とコメントを発表、自民党、森幹事長も同様の談話を発表「採用差別問題は大きく動き出す事になった」と報道した。この報道に至る経過については以下のようである。
3・30自民、社民の政党間協議以降、自民党から社民党を通じ国労に三点の課題が突きつけられた。 1、国労は「解雇撤回」を主張しているが自民党は「人道上の問題」であると認識。JR西、JR連合も「新たな雇用問題」であると受け止めているがどうか。 2、 国労は政労使による交渉テーブルにこだわっているが三者間テーブルは困難。 3、 国労の主張のように政党が前面に出ての解決は困難。 これら三項目は「地裁判決どおり解雇は正当である」よって「解雇撤回」はない。お情けとして新規採用なら広域採用としていくらかは認めると言わんばかりだ。 以上の点で国労三役は対応を協議、基本的に受け入れを決定し濱田、武部(自民党副幹事長)会談となった。会談では1については、国労が組織として明確に「解雇撤回=不当労働行為」路線から「人道上の問題、新たな雇用問題」に転換できるか疑問が残るが、国労執行部としては自民提案の方向で努力する 2の「交渉テーブルのあり方」については、話し合いの持ち方としていろいろな方法がありうることを了解する。 3の「政党が前面に出たくない」という趣旨について、国労として努力するなどが確認されたようである。
この席上に、高橋委員長は以下の文書を自民党に提出した。 「国鉄労働組合は、平成11年3月18日に、第64回臨時全国大会を開催し、国鉄改革法の主旨を含めて認めたものである。旧国鉄時代の訴訟については、解決の方向付けが明らかになった適当な時期に、取下げを検討する。他組合にも、解決のための理解を得る努力はしつつも、乗り越えなければならない点も多く、一層のご指導をたまわりたい。」 濱田はこれもって森幹事長のコメントと官房長談話を求めた。これが上述したこの間の新聞報道にかかわる実際の動きである。これらの経過については5月15日の全国エリア代表者会議でもまたその後の中央共闘、弁護団を含めた拡大解決委員会でも了解された模様だ。「改革法の主旨を認める」「訴訟は適当な時期に取り下げる」など高橋メモは3月18日の臨時全国大会決定からも大きく逸脱している。メモ全体は5・28反動判決直後、自民党が出した交渉テーブルを作るための三条件受諾を意味する。自民党はその上で国労に対し連立相手である自由党にも、より一層の屈服した内容の文書を提出するよう脅した。その上でようやく政府談話が出せるように仕組んだ。その自由党に提出した5.18文書が以下の通りである。
旧国鉄問題に対する国労の考え方について 1、 国労は、いわゆる「国鉄改革法」の意図を認めたものである。 2、第64回国労大会までの大会決定事項のうち、JR発足後の訴訟などについては、取下げを検討する。 3、解雇撤回、JR復帰などの解決にあたっては、昨今の経済・社会の情勢を考慮し、現実的に対応する。 4、 国労は今後、JR各社との健全な労使関係の確立を目指して努力する。 5、 当面する問題の解決にあたって、一層のご指導をたまわりたい。
この二つの文書はマスコミによって暴露されたが本部は「あて先のないメモであり、公表は迷惑」と存在を隠そうとしたものである。このように本部は解決=解雇撤回闘争の巻く引きのためならどんな条件でも飲み込もうとしている。以上すべてについて革同はその都度、了解を与えていたことを革同メモは明らかにしている。まさに本部は総団結で総決起については投げ捨てたといってよい。
■■ 踏みとどまれるか ■■
私は臨時大会で改革法を承認した結果のバランスシートがここにはっきりと現れていると思う。改革法一点の承認にさえ反対した部分は「改革法を承認してしまったら次から次へとハードルが高くなりとことん屈服を迫られる。」と言って反対した。自民党の交渉三条件の核心である改革法を認めることは、五項目補強案が自民党、連合(笹森)、JR連合(葛野)の要請そのものだから補強案の改革法承認以外を臨時全国大会で取り下ろしたとしても残りを最後まで守りきれないと言うのがその理由だった。事態はそのように進展している。チャレンジグループはそれを承知で改革法承認一本の臨時大会強行に邁進したのだ。チャレンジにとって少数分裂は破滅の道だった。五項目反対派が断固としてさえいればその可能性しかなかった、と私は思う。何故なら大所帯の東京地本を分裂させることなくしては数的に意味を持たないからだ。政府も会社もJR連合さえも相手にしてはくれない。だからこそ国労にしがみついて本部に路線転換のハンドルを取ってもらおうと苦心惨憺している。分裂を回避するためと言うもっともらしい理由をかざし主導権確保のためにチャレンジグループに妥協することは結局一般組合員の戦う意識を解体することにつながる。この間、春闘でのストライキの回避や、5.28集会からの高裁闘争勝利のスローガン削除、巧妙な手を使った主催団体からの辞退など、政府、JRを挑発しないことを理由に本部は闘いの前面に立つことを回避している。そればかりかガイドライン関連法案、労働者派遣法改悪案、その他有事法制に向けた動きと対決する取り組みを今まで以上に召還している。また、前述した対政府交渉の経過を良く見てみると、国労本部は解決への努力という名のもとに解雇撤回闘争をはじめとした国鉄闘争や国労運動の成果を切り売りしているとしか思えない行動を示している。この国労本部の姿勢に対し5・28東京地裁反動判決一周年「国鉄闘争の全面勝利解決をめざす5.28大決起集会」で音威子府闘争団家族会の藤保さんは「二度と取り戻すことのできない十二年間の責任を人道上の問題や新たな雇用問題という事で解決しようとしているが、解雇撤回、夫が地元JRに復帰できなければ納得できない。12年間と家族の気持ちへの謝罪、それが私たちの譲れない条件です」と政府に対する怒りとともに国労本部をも批判している。
■■ 全国大会は ■■
自民党の居丈高な態度を決して許すことはできない。しかし同様に、本部の屈辱的外交、自民党のおもうがままに引き回されている状況は耐えがたい。しかもJR東日本については何らかのコメントさえ得ることはできていないまま譲歩に譲歩を重ねている。そして政府主導の「解決」?に向けた急速な詰めは屈辱的な解決水準での一発決着に向けて進行していると憶測されている。1047名の採用差別問題の解決という美名のもとに進展している1047名の解雇撤回闘争の収拾と国鉄闘争の武装解除の動きが進んでいる。その流れへの抵抗の機会を首都圏総行動の取り組みは与えている。8月全国大会に向けて98年全国大会で提起された五項目補強方針案の実質的動きと大会承認に向けた流れが加速されるだろう。また、入管法改悪案、周辺事態法案の成立、労働者派遣法改悪案や盗聴法案、住民基本台帳法改悪案など有事法制化の攻撃と手を携えて時代は急速に変化していく。 泣くな、怒るな、理解しよう。
(1999/06/07記)