おとうさんの育児休業日記 (4月)

4/10 この勇姿をを見よ!

'98/04/09(木) ● 気が付けばあと1ヶ月半

 「お母さん」稼業もマンネリかなぁと思い出したのは3月に入ったころで、結局、「少しでも完璧なお母さんに近づこう」という意気込みで頑張れたのは、たった2ヶ月という情けないありさまです。朝ご飯作って、おねえちゃんを保育園に送りに行って、洗濯して、掃除して、離乳食食べさせて…、それから…という仕事が大体できるようになると、だんだん緊張感が薄れてきて、いい加減になってきました。気が付けばいつのまにか「お母さん」稼業の5ヶ月間も3分の2を過ぎて、もう1月半ほどしかありません。ユウは5月の連休明けからはおねえちゃんと同じ保育園に入れるはずで(入れると思うんですが…。まだ正式な通知はありません。少し心配)、そうすると、ユウとずっと一緒に過ごすのはもう1ヶ月足らずとなってしまいました。気を取り直して、「お母さん」稼業もこの日記も、再度ネジを締め直して頑張ろうと思います。

 さて、歯が1本生えてきたのを発見したのが3月8日、それから1ヶ月たって、いつのまにか上の歯は立派なのが2本になり、下にも1本生えてきて、あともう1本も顔を出しかけています。日記に書くのをサボってしまいましたが、3月の上旬からはお粥を柔らかいご飯に、日に2食だったのを3食にと、離乳食も普通の食事に近くなりました。ぼーっとしている「お母さん」役が、ふと気が付くとずいぶん「人間らしく」なったものです、と書くと、何か変な感じがしますが、やはり私には「人間らしく」なったなあ、と思えます。

 「人間らしく」なったと思える一つ目は、自他の区別がつきはじめたことです。これまでも、興味を持った物を手から取られて泣くことはありましたが、それはあくまで悲しくて泣くという感じでした。それが、最近は、取り上げた者への抗議を込めて泣くようになってきました。おねえちゃんに、どん、と押されて転んだりすると、何で押すんだよう、という感じで「ああっ、ううっ」とか大きな声で抗議することもあります。二つ目は自分の思い通りにいかないと泣くようになったことです。今日、おねえちゃん用の椅子(デパートの食堂などに置いてある、子供用のあれです)に足を掛けて、結局は登って椅子の上で立ち上がってしまったのですが、最初はなかなか登れなくて泣いていました。これまでの、腹が空いて泣く、眠くて泣くという、単純に生理的な不快感を感じて泣くというのとは違います。自分が椅子の上に登るという、実現した場合の構図、予想される結果が頭の中にできていて、それがうまくいかないので、いらだって泣いている(ように私には見えるます)。三つ目は「ドアの向こう側」ということが分かってきたことです。以前は、見えるものだけが「存在するもの」で、見えなくなるとすぐ忘れてしまったのですが、いつからか、たとえばおねえちゃんが隣の部屋に行ってふすまを閉めると、「開けろ」とドンドン叩くようになりました。ドアが閉まって見えなくなったおねえちゃんは、いなくなったのではなく、ドアの向こうにいるということが分かってきたのです。3次元の空間という観念が生まれつつあるのだと思います。

 生まれてから半年くらいまでは、「この奇妙なものが、ほんとに一人前になるのかなあ」という感じで、実際口に出してそう言っては、お母さんに変な顔をされていたのですが、最近では「まだ生まれて10ヶ月なのに、よくここまで人間臭くなったものだ」と思うようになりました。ほんと、一人前みたいな顔することがあるんだよな。

本日のお食事

*ユウ*・[朝] クリームシチュー、ご飯。
    ・[昼] ニラと鳥肉入りうどん、ヨーグルト、ミルク。
    ・[夜] おでん(ジャガイモ、大根、さつま揚げ、はんぺん)、しらす入りご飯。
*夕食*・おでん、肉ニラいため、、ほたてとイカの刺し身。

'98/04/10(金) ● 3回目の予防接種

 今日は「3種混合」の3回目の予防接種に行ってきました。ジフテリア、百日咳、破傷風という3種類の病気に対する予防接種で、1ヶ月の間隔で3回接種して効果が上がるようになっています。もう少し早く行きたかったのですが、実は3月の半ばに突発性発疹(昔知恵熱といったもの)にかかって39度2分まで熱が出たり、その後も鼻かぜをひいたりして行けなかったのです。

 1回目は少し離れた場所の小児科医院で、2回目は近所の医院で注射してもらいました。3回目の今日は2回目と同じ近所の医院に連れていったのですが、待合室にいるときからどうも様子が神妙で、名前を呼ばれて診察室に入り、体調を調べるための聴診器を当てられた時から大泣きしました。年配のお医者さんが優しい口調で「前のこと、覚えているね」と言って、やっぱりそうかと思いました。1ヶ月前の恐怖の体験を記憶するようになったわけで、やはり、急速に「人間らしく」なっています。

本日のお食事

*ユウ*・[朝] おでん(大根、ジャガイモ、さつま揚げ)、ほうれん草・卵・豆腐の味噌汁、チーズ入りご飯。
    ・[昼] スープ(ベーコン、チーズ、キャベツ、玉葱、にんじん、セロリ)、ご飯、ミルク。
    ・[夜] オムライス、スープ(昼と同じ)、ポテトサラダ、豆腐。
*夕食*・オムライス、ポテトサラダ、豆腐の味噌汁。

'98/04/14(火) ● テーブルの上は禁断の世界

 最近(2週間ほどでしょうか)、ユウはせまい我家の台所兼食堂である6畳間に置いてあるテーブルの上が気になってしかたありません。ペン立ての中のボールペンや鉛筆、ブラシ、テレビのリモコン、雑誌…。手に持つと危険な物・不都合なものは、取り上げられると何でもテーブルの上に載せられてしまい、以前なら見えなくなるとすぐ忘れてしまったのが、最近では、手から取り上げられたものが、見えないけれどテーブルの上に置いてあることが分かるので、何とかそれを取ろうと、高さ75センチのテーブルの端にしがみついてうんうん唸っております。端から10センチほどのところまでは、背伸びして見ることができ、手を伸ばしてつかむことができるので、油断していると何でも引っつかんで落とされてしまい、知らないあいだにリモコンを取って、いきなりテレビのチャンネルが変わるくらいならいいのですが、コーヒーでも頭からかぶられたら大変なので、気をつけねばならなくなりました。

 背伸びして、取り上げられたものにようやく手が届く。すると、こりゃ危ないと、私がテーブルの中心部に動かしてしまう。うんうん唸ってしがみついて、やっと手に触ったものが、非情にもまた遠くへ動かされてしまうと、まったく恨みがましいという目で、私を2秒ほど見つめてから、顔の輪郭をフニャッと崩してワーワー泣き出します。
「じゃあ、これをあげよう」と私が言って、代わりに与えるものでは、満足できないことが多い。
「リボンなんかいやだよ。俺はペン立ての中のボールペンが欲しいんだ」
 そう目で言いながらユウは泣いている。
「そうなんだよ。世の中、欲しいものはなかなか手に入らないんだよ」

本日のお食事

*ユウ*・[朝] 柔らかいご飯、ロールキャベツ、かぼちゃ、大根と油揚げの味噌汁。
    ・[昼] ほうとう風うどん(豚、白菜、ねぎ、にんじん、かぼちゃ)。
    ・[夜] アジ入りご飯、豚汁(豚、豆腐、ゴボウ、さつまいも、ねぎ、にんじん)、かぼちゃ。
*夕食*・アジ塩焼き、豚汁、サラダ(ハム、トマト、レタス、かぼちゃ、きゅうり、コーン)。

'98/04/16(木) ● コウタ君がスカートをはいていた話

 今朝、おねえちゃんを保育園に送っていったら、コウタ君という男の子が、もう一人の女の子と二人、スカートをはいて遊んでいました。保育園には「動きやすい格好で」行くことになっていて、フリフリのドレスはもちろん、普通のスカートもはいていけません。女の子も皆ズボンです。おねえちゃんのリホはそれが不満で、お休みの日には決まって「スカートはく」と言うのですが、ほかの子もドレスやスカートを着て遊びたいのでしょう。それでかどうか、4月からリホたちが進級した6歳児のクラスには、お遊びのためのドレスとスカートが何着か置いてあって、進級したてのコウタ君は、さっそくそれで遊んでいたわけです。家から着てきたズボンの上に、もう一人の女の子とおそろいの茶のスカートをはいて悦に入っているコウタ君を見て、別の女の子が、
「コウタ君、男の子なのにスカートはいてる。おかしいー」
 と言いましたが、コウタ君は動ずるふうもなくにこにこしています。私が、
「男の子でも、時々はスカートはきたくなるよなぁ」
 と言うと、それには積極的に同意せず
「だってぼく、おかまなんだもん」
 と言ったから、びっくりしてしまいました。5歳の子が、「おかま」って言うんですよ、まったく。どこで覚えるんでしょうか。もっとも、言葉の意味を理解してるふうでもありませんでしたけど…。

 男の子がスカートをはきたがるのは、別に珍しいことではないようです。だいぶまえ、知り合いの(と言っても、ネットワーク上の知り合いですが)息子が、幼稚園にスカートをはいて行きたくなって、迷った末に両親はスカートを買ってやって、お迎えのバスにスカートはいて乗ったから先生にびっくりされたという話を聞いたことがあります。その子はしばらくスカートをはいて幼稚園に行ってたようですが顛末は知りません。私はその話を聞いたとき、「男の子はスカートはかないの」とか「バカ言いなさい」とか、常識的なことを言わないで、スカートを買ってやった両親を尊敬したものですが、今朝、得意げなコウタの顔を見ていてその話を思い出しました。

 人間はいったい幾つくらいから「男と女」ということを意識しはじめるのでしょうか。ユウがまだ自分を「男」として認識していないのはもちろんですが(そもそも、「自分」という観念がないでしょう)、手に持った物をやたら投げたり打ち付けたりして喜んでいるユウを見ては、お母さんがよく「男の子はやっぱり乱暴ねえ」とため息まじりに言います。私が、まだ男とか女とか、差が出てくる年でもないだろうというと、「おねえちゃんのときにはこんなではなかった。それに職場の皆も言うわよ。男の子は0歳から乱暴だって」と言いました。私は内心、手に持ったおもちゃを投げて喜んだり、固いところに打ち付けて音がするのを喜んだりするのは、俺が教えたからだろうと思うのですが、ひょっとすると、お母さんが言うように、0歳児から、男と女では行動に差があるのかもしれません。良く分からないなあ。(どなたか、0歳児の性別と行動について教えていただけないでしょうか)

 0歳児はともかく、3歳ないし4歳で男とか女とかを気にするようになるのは、おねえちゃんの経験から言って明らかです。おねえちゃんが
「リホはピンクとか赤がすき。だって女の色だもん」
 とよく言ったのは、4歳のころだったと思います。私が、
「男が赤い服着てもいいだろう」というとだめだと言い、「青い服着た女の人でもかっこいい人いるだろう」と言うと、
「違う、女はかわいい。かっこいいは男」
 とたしなめられたものです。赤は女、青は男。かわいいは女、かっこいいは男。こう規定する力は空気のように子供を覆い、自然に女の子を女に、男の子を男に作り上げていく。コウタ君も、もう1~2年もすれば絶対スカートなんかはかなくなるのでしょう。

'98/04/20(月) ● ユウ君、5月から保育園

 今朝、福祉事務所の担当の方から電話があり、保育園の園長と相談して、説明を受ける日取りを決めてくれと言われました。これで5月から、晴れてユウ君はおねえちゃんと同じ保育園に行くことになったわけです。申請を出して、多分大丈夫だと思っていたものの、やはり、正式の連絡があるまではいくぶん不安だったのですが、これでほっと一安心。明日にでも園長さんと話して説明会の日取りを決めようと思います。

 昨日の夜、おねえちゃんは8度4分の発熱。今朝は下がっていたものの7度3分で保育園はお休み。昼間は熱も下がって元気だったので、外で遊ばせましたが、夜になると少しコンコンしています。本人は明日は保育園に行くつもりですがどうでしょう。

本日のお食事

*ユウ*・[朝] イカ大根、マス入りご飯、ニラと卵の味噌汁。
    ・[昼] ホットケーキ、バナナ。
    ・[夕食] ご飯、ハンバーグ、ジャガイモ、にんじん、ブロッコリー、豆腐・ねぎ・ワカメの味噌汁。
*夕食*・ハンバーグ、かぶ・にんじん・ブロッコリーのサラダ、豆腐・ねぎ・ワカメの味噌汁。

'98/04/21(火) ● ポリオワクチン接種に行く

 午後、保健所までポリオ生ワクチンの接種に行ってきました。この前受けた3種混合の予防接種は横浜市から委託された町のお医者さんでも受けられますが、ポリオの予防接種は保健所まで行かねばなりません。ひと駅電車に乗って保健所に行き、エレベーターのドアが会場の階で開くと、長い廊下はお母さんと赤ん坊でいっぱい。保健所の職員が大きな声で「母子手帳に必要事項を書いて、あっちに並んでください」と案内しています。受付で、予防接種の知識と赤ん坊の健康状態について簡単な質問をされて、パスすると会場に入り、今度はお医者さんが聴診器を当てて体調をチェック、そこもパスすると投与する部屋に進んで、小さいさじで口の中にワクチンをほうり込まれて終わり。この間、約5分くらいのものでしょうか。お母さんは「終わってから、少し休んでいくように言われるはず。ゆすって吐いたらワクチンが出ちゃうから」と言っていたのですが、それらしいことも言われず、吐く様子もないので、ほんの少し廊下の長椅子で腰を下ろしただけで帰ってきました。

 3種混合の場合は生きた菌は投与しないのですが、ポリオは「生ワクチン」というぐらいですから、力を弱めてはありますが、「生」の生きた菌を投与するので、3種混合に比べると副作用の危険は大きいのだそうで、投与時の体調の判断も、より慎重に行う必要があるそうです。あんなベルトコンベア方式で危険はないのだろうかと、ちょっと不安になりました。

 予防接種についてまったくの素人考えを少し書きますと、よく「予防接種の副作用」という問題が議論されますね。「国民全体の健康度」という点から言えば、たとえば予防接種を実施したために、100万人に1人、副作用でひどい目にあう子供が出たとしても、100万人あたり50人だった発病率が5人まで低下したとすれば、差し引き44人分(50-5+1)の健康が守られたということも出来ますね。しかし、たとえばユウがその100万分の1の確率で副作用を起こし、苦しまねばならなくなったら、私はそうは考えないでしょう。「なぜ義務でもない予防接種をしてしまったのか。あの時あの注射さえしなければ…」と、悔やんでも悔やみきれないことでしょう。これは誰でもそう思うのではないでしょうか? 「国民全体」という観点からは単なる「1」という数値に過ぎない1人の「生」は、言うまでもなく、その当人にとってはたった1度きりのかけがえのない「生」であるからです。(ここのところはもう少し考えてみたいのですがこれだけにしておきます。あるいはまったくの見当違いを書いたかもしれません。予防接種について知識をお持ちの方にフォローしていただければありがたいのですが…)

● ……以下略(5月の日記へ続く)

 3月に続いて、4月の日記も途中で挫折してしまいました。材料は取ってありますので、後日補充することにして(…って、ほんとうかよ??)5月の日記に続きます。