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==異論・暴論・パロディで行こう!== 解体局面から解体へ

大橋 亮

 今号は『国労運動の現状をどう考える』だそうである。いったいどうしたことだろう?「狂い咲き」でもしたのであろうか?あるいは、私達を含め国労・国鉄闘争にかかわってきた者にとって、やはり重大な節目が訪れていると言って良いのであろうか?
 当然、『汽笛』(『山と渓谷』??)に統一見解があるわけでもなく、誰がどのような内容を書くのかという打ち合わせも無いわけであるから、様々な見解が咲き乱れることであろう。楽しみである。
 「補強案」についての分析・評価ならびに情勢については、この誌面においてもいろいろ出されるであろうし、諸勢力・諸個人によって多々出されているはずである(とは言っても、私は職場を訪れ「情報」を置いていく「あの人達」の見解ぐらいしか知らない。「大恐慌と戦争の時代」のあの人達である)。
 しかし、とてつもなく重要なこの問題について「学校」(あまりにも滑稽な呼び名だ)の内部ではグチャグチャ言い合っているのであろうが、断固たる意志を持って自らの方針に大衆を獲得しようという取り組みは見られないと言って良い。ここが修善寺大会の時との大きな違いだ。「労働組合とはそういうモノではない」などと言わないでほしい。党とか指導部とか学習をし成長した人々はそうであってはならないはずである。この様な情況も、理念が崩壊し組織と人間関係だけが残った惨状では仕方ないのであろうか。
 だが、「どの道を選ぶかは組合員自身が決めることだ」などと逃げるのだけはやめてほしい。そう発言したあなたは、「どの道」に転んでも、組合員自身が選んだ道だから「地獄」へもついて行く言い訳ができるではないか。
 エッ?誰もそんな事は言っていない?それは失礼しました。物言えば唇寒しである。気をつけよう。

■■ 「補強案」?茶番だ!〜パロディで語るしかない ■■

 ところで、私も「補強案」などについて何か発言しなければならないであろう。
 しかし、「補強案」を真剣に語る気分にはなれないではないか。茶番だ!茶番!
 修善寺大会が「悲劇」であるのなら(首を切られても屈服せず闘い抜く決意を固めたという意味で)、六五回大会と「補強案」は「喜劇」を一気に通り越して「茶番」を演じてしまったのである。
 「補強案」の提出の仕方といい、伝え聞くそれにまつわる様々な事情といい、「組合民主主義の否定である」というのはまさに正論ではあるのだが、それ以上に醜悪である!その心根が卑しいのだ。その一点に於いて失格!「補強案」が正しいとか、正しくないとか言う以前に拒否反応を起こしてしまう。生理的にダメなのである。こういった事にはお付き合いしたくないと言うのが正直な感想である。
 主観的には、「組合員・組合のために緊急な判断が必要である」という「善意」から発したことであろう。しかし、その「善意」や「正義」「理想」というものが人々を巻き込んでしまったとき、歴史はどうなっていったのであろうか?気づけば、スターリンさんと談笑しているあなたが居るのではないか?大袈裟だとか、レベルが違うなどと言わないでほしい。
 感性が重く鈍り、この様な組織運営を繰り返し、ゴタゴタの駆け引きを続ける「組織」に未来なんかないだろう(しかし、それ故に他の組織から国労が批判される所以はない。大同小異じゃないか)。
 一時的に、又は中期的に「正しい」取り組みが行われたとしても、まったく問題にならない。労働者・大衆を、世界を獲得することなんかできやしない。「善意の主観」と「悪魔の客観」は分かちがたく結びついているのだ。
 茶番に対してはパロディで語るしかないではないか。よって、以下、気にしないで読み進んでいただきたい。

■■ 「解決」か「収拾」か? ■■

 闘争団の12年間にも及ぶ闘いの重みがどうでも良いとか言うのでは決してない。しかし、どう考えても、この時点、この情勢での解決水準とやらは、「解決済み」から「解決課題」へと「追いつめた」とはいえ、「金銭」と「名誉回復」プラスアルファーが精一杯ではないか(大衆闘争の積み上げが「水準」を決めていくのだなどと言わないでほしい。死にもの狂いでやったとして、どれ程の大衆を巻き込むことができるというのだ?現在の世の中を見渡して、正直な感性があればそんなことは誰だって判るはずだ)。
 そこを誤魔化さない方がいい。その程度の「解決水準」であっても、今、「解決」が必要なのか、今を逃すともっと後退するだけなのかを、率直に提起すべきだ(「補強案」の本音はそこなのであろうが、その意味でも「補強案」は正直ではない)。
 残念ながら「納得できる解決を」ではないのだ。「納得」できなくても闘争を収拾しなければならない時はあるのだし、それならば、そう正直に提起するより他はないではないか。一からやり直さなければならないかもしれないし、いや、マイナスから這い上がらなければならないだろう。
 そのように理解すれば今後の闘争団の方向についても正直に話すことができるではないか。「解決局面」を迎えているのではなく「収拾局面」に直面しているのだ。

■■ 「組織のあり方」〜国労解散と加入戦術? ■■

 「組織のあり方についての提起」で如実に語られているように、組織はジリ貧であり、このままでは展望がないということだ。「組織の現状をふまえ」「将来を見据え」などと書かれて、その他の読み方ができるだろうか?
 「産業別労働組合を展望し」などという枕詞を置いて、組織のあり方を検討し、労働条件の改善・東の異常な労使関係を変えるために「JR連合とあらゆる共同行動を進めていく」そうである。その共同行動の中でかつての国労の闘う主導権を確立し、産別組織=組織統合に於いてもヘゲモニーを握っていくのであろう。涙が出るような素晴らしい展望じゃないですか。吸収合併されて肩身の狭い思いをしなければいいのだが。
 しかし、現状を考えるならば、組織の壁が傷害となって働く労働者と切り結ぶことができないというのであれば、採るべき道は実質的な国労の解散とJR連合のみならず、東労組へのなだれ込み・加入戦術以外ないだろう。もはや、共闘・組織統合という段階ではないのだ。踏み絵も踏めばいいし、この立場なら「改革法を認める」なんて初歩の初歩だ。何も問題はない。マヌーバを駆使しようじゃないか。「JRに移行してからの不当労働行為・係争事件」などについてもいったん「処理」するしかないのだ。
 圧倒的多数のJR労働者はあちらに(実質的には会社であるが)に「組織」されているのだし、「労働組合と無関係な暴力集団」などというのは一握りに過ぎない。労働者の傍らで語りかけるのが活動家諸君の任務ではないか。こう言ってさしあげると気が楽にならないだろうか?堂々と転落の道を歩めるではないか。
 そして、XYZ(?)とかそれと癒着した一部経営陣を放逐する闘いに奮闘したらいかがであろう。ミイラ取りがミイラにならないことだけは遠くからお祈りする。
 「永遠の今」などと言いながら、マヌーバ漬けになったXYZの腐臭を放った姿はあまりにも醜いではないか。彼らのようにだけはならないでほしいのだが、その彼らとまさに隣り合わせの悪戦苦闘を強いられるはずだ。たとえば、小集団活動のリーダーになって日夜励む涙ぐましい努力など、目的意識を持った活動家諸君には朝飯前であろう。それぐらいの回り道ぐらいは覚悟しよう。

■■ 落とし前としての「闘う労働組合」 ■■

 次に、どうしても排除されてしまう人はどうするかだ。
 先方の労働組合も国労の「戦犯」までも引き取ってはくれないであろう。その時は「戦犯」の皆さんは覚悟を決めて、孤高の闘う旗を掲げ、「闘う労働組合」に結集しようではないか。それが「戦犯」としての生きる道、いや、落とし前の道である。
「一般組合員(何だそりゃ?)だけを会社側の組合に無防備に行かせるわけにはいかない」などと言って、圧倒的多数派の安住の地に自分も行くことに未練を持ってはいけない。「一般組合員」とやらをバカにするものじゃない。たとえ、圧倒的少数派になろうと、組織の壁なんか気にするな。それが傷害だというならば、やはり、「修善寺大会」も労線右再編に於いて連合と対峙したことも、はなから誤りであったということになりかねない。
 労働組合なんて全労働者の3割も組織していないんだ。でかい顔をさせることはないし、大衆に語りかける言葉も獲得する水路も持ち合わせていないのだ。そもそも、少数派で何が悪い?組織が拡大できなくて何が悪い?縮小再生産で何が悪い?多数派であること、「力」を持つことに何の意味があるのだ。従来のあり方の労働組合が壊滅したとしても、労働者が絶対的窮乏化の淵に叩き落とされることはないだろう。気楽に行こう、気楽に。
 ついでに、デフレの下で「一億総中流意識」が解体(中間層は引き裂かれ、貧富の差が拡大しニュープア層が登場)すると共に、いよいよ労働者が「階級」として歴史の前面に登場するのか、果てはますます競争・分断・排除によるアトム化が進行するのか私は知らない(誰か教えてね)。

■■ 勝手にしやがれ!〜個的な問題を闘おう! ■■

 最も正直に考えれば「補強案」を押し進めた以上の立場でやっていくしかないのだ。「補強案」推進派・やむなし派の皆さんはここまで突き進まなければその真価を発揮できませんぞ。「団結と統一」というイデオロギー(虚偽意識のこと!)の信仰者はいち早く国鉄闘争の収拾・処理と労働者の輝かしい未来に向かう果てしない「長征」に勝手に旅立て!
 もちろん私はご一緒しません!
 どちらにしろ、何か「大義」のためとかの理由付けをした行動には空々しい嘘がつきまとっているようで嫌いだ。
 闘うのであれば「個」的な問題に徹底的に取り組もう。「個」的な問題を掘り下げた末の「他」との出会いならば本物になるだろう。そこからだけ、もしかしたら世の中も変わるかもしれない。
「孤立を求めて連帯を恐れず」だ。
 敗北主義、投降主義、清算主義、何とでも言っていただこう。所詮、パロディだ。真冬の夜の悪夢でした。お粗末!
 最後に、パロディ版「補強方針(案)」をお届けしよう。

■■ パロディ版「補強方針(案)」〜解体局面から解体へ ■■

 第一に、私達は、国鉄労働運動の、否、日本労働運動の、否、理念としての「階級」の総敗北を承認し、よって、国鉄分割・民営化を強行した国鉄改革法の前に総屈服することを認める。
 第二に、組織のあり方について、国労の組織の惨状をふまえ、絶望的将来を見据え、会社側組合への加入戦術を展望して、組織のなし崩し的解体を検討する。
 分会段階から「もう国労にはついて行けない」等の理由付けなどを行い、役員を先頭に国労脱退・会社側の組合になし崩し的に加入していく。先方にとっては正に「国労解体」であり、私達にとっては荒野への「長征」である。
 その中で排除される部分については、孤高の「闘う労働組合」に結集する。
 第三に、採用差別事件については、あらゆる譲歩を行い、政府から最大限の「金銭」プラスアルファーを引き出すと共に、国労の全財産を投げ売って、全精力を使い、当該組合員・家族の今後の道を保証する。
 以上。

■■ *** おまけ ***  ■■

「迷い道」(渡辺真知子)〜替え歌で行こう!

 オマケに替え歌で行きましょう!
  ♪♪♪
 現在・過去・未来
 レーニンに会ったなら
 私は今でも闘ってますと誰か伝えて
 まるで喜劇じゃないの
 一人でいい気になって
 消え果てた社会主義を今も夢見るなんて
 一人世渡りを
 一つ間違えて
 負けイクサ トボトボ…


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